鳩山首相は、「労働なき富」を糾弾し、それは中学生のときに52億円の株譲渡を受けたあなただと言われて、「私ではなく、いき過ぎた金融資本主義のことを言っている」と反論しているらしい。
鳩山さんがこの主旨の発言にこだわる理由は、実は自らの特権意識にあるのじゃないかしら、と最近思えてきた。彼が「いき過ぎた」資本主義を嫌うのは、それが「成り上がり」を生むからだ。「成り上がり」は、鳩山さんのような、「生まれながら」の人物の自信と自尊心を傷つける。
同様に、官僚のような試験を経て成り上がったテクノクラートも彼の批判対象になる。テクノクラートは指図されるべき対象であり、彼にとっては使用人に準じる立場にあるべき者なのだろう。だから彼の政策は官僚批判にとどまり、官僚改革におよばないのだ。
こう見てくると、彼のトレードマークである「友愛」も、その特権意識の裏返しなのではないかと思える。人々に無償の愛を注げるのは、生まれながらにして人生のシノギにまみれることなく、そんなものと無関係に生きてこれた、私のようなものの特権なのだ、と言いたいのではないだろうか。彼にとって「友愛」とは、自らの富に対する免罪符のようなモノなのじゃないだろうか。
こうした自己に対する特別意識をその根本に抱いている人の配偶者が、火星人と対話したことがある唯一の地球人であることは、意外に彼らの意識の奥深いところで同根なのかもしれない。
鳩山さんの「友愛」から透けてみえてくるモノは、強烈な「自己愛」だ。