Sunday, September 02, 2007

Alt Heidelberg

(このエントリーは私の高校時代のドイツ語の先生、桝谷氏に捧げます。)

近所に「Heidelberg」というおいしそうなドイツ料理屋さんがあると教えてくれたのは、うまいものに目がないわりには鼻が利くわが家の山の神

すでにここ数ヶ月ほど、Second Avenueならびにある無愛想ながらもおいしいドイツ・デリ、Schaller & Weberにお世話になっており、かねてよりそのおとなりさんにあたるこのレストランが気になっていたそうだ。

そこで先日、家族で行ってきました。

潜入、Heidelberg...

なんか冷戦時代のスパイ物みたいだな...。

バー・エリアとレストラン・エリアに分かれた店内に入ったとたんに耳に流れ込んできたのはポルカの音色。

...ドイツだ...。

「何人ですか?」

と聞くウェイトレスのお嬢さんは、なんか恰幅のいい(ちょっと赤ら顔の)ブロンド娘。

...ドイツだ...。

しかもドイツ民族衣装風の白いブラウスとジャンパースカートのコンビネーション。

(しかもジャンパースカートの上半身部分がピッチピチ...)

...ドイツだ...。

(東洋人女性は自分をセクシーに見せようとしてジャンパースカートを着ないもんなぁ~...。)

他のウェイターも、その顔どうみてもメキシコ・プエルトリコ系だろ?というお兄ちゃんたちがレーダーホーゼン着てはりきっている。

う~ん...すごい。

やられた...。

こりゃドイツだ...。

それにしても本当のドイツ人はこういう「これでもか、これでもか」といった感じのコッテリまるごとドイツでっせ!という店作りに引かないのだろうか。

もし私が異国で日本料理屋に行ってBGMに琴の音色で「さくら、さくら」なんて流れてきたら、ちょっと食傷するが...どうなんだらう。

肝心の食べ物は、ドイツ料理屋に行くと決めたときから食べることにしていたアイスバイン。そして飲み物はピルスナーのビール。Warsteinerでいってみよう!

まずはビールでやられました。美味い!久しぶりにキレのあるビールを飲んだ。自分がアメリカに来てから、いかに不味いビールを飲んでいたのか思い知らされました。

次にアイスバイン。

...で、でかい!ゲンコツ四つほどの大きさの豚の脚関節が大きなお皿にドン。トロトロのコラーゲンがたっぷり。

付け合せはザウアークラウトとジャガイモのパンケーキにアップルソース。これがまた美味。ザウアークラウトが嫌いという妻も、

「これはオイシイ...」

セガレも黙ってパンケーキに喰らいつく。

...おいしい店に行くとなぜか無言になるわがファミリー。

しかもお値段おてごろ。

気取りもヒネリも無い。無骨ながら正直な「美味いもん」を食べさせるお店。

こりゃ掘り出しモンだねぇ~...と家族みんな大満足で家に帰ったのでした。

その後数日してからこんどは一人でバーに行ってきました。

ビールの味が忘れられず...。アハハ...。

バーのストゥールに腰掛け、一リットルの大ジョッキを頼んでグビグビやり始めたら、となりのオジイサンが、

「お若いの...よく飲むね...」

いやぁ~、好きなもんで...アハハ...といった具合に会話が始まった。

話を聞くと、オジイサンはピアノの修理工・調律師でジュリアード音楽院に出入りしているとか。

「オジイサン、もしかしてドイツ人?」

「ヤー、ヤー...」

しからば...と、ビールの助けを借り、高校以来、錆び付いたというもおろかなドイツ語を脳みその片隅から取りだして...

「汝ハ、ドイツノイズレヨリ来タルカ?」

「共産圏ナリ。ポーランド国境チカクノ町ナリ。」

「オー、ドレスデンノ近クナリヤ?」

「ヤー、ヤー...」

と、まぁドイツ語はここら辺までが限界...桝谷さん...面目次第もない。

とにかく片言が出てきたので、かなり打解けてくれたご老人。1956年に兵役を逃れるために西ベルリンに逃亡。ユダヤ系ルーマニア人の奥さんと結婚し、アメリカにやってきたとか。奥さんは10年前に亡くなっちゃったんだけど、美人だったんだ...などと思い出話が止めどもなく出てくる。

「誰か有名なミュージシャンと仕事しましたか?」

と聞いたら、

「この前、アイザック・スターンの家のピアノを直しに行ってきた...」

...ウォオーッ!スッゲー...というミーハーな自分をひたすら隠し、

「好きなピアニストっておられますか?」

「やっぱりホロヴィッツだね...サイン入りのレコードもってるのさ...」

...ホロヴィッツとは...古風ですな...。

レストランの由来の話を振り向けたら。

「いやね、ニューヨークのここら辺一帯は昔はジャーマンタウンだったのさ。ドイツ語オンリーの映画館が三つもあったんだ。」

「あぁ...キーノ...でしたっけ」

「そうそう。で、この店は1960年ごろアルゼンチンからやってきたドイツ人夫妻がはじめたのさ。だからもうすごい老舗なんだよ。」

「へっ?またなぜアルゼンチン?」

「ハハハ...ご主人が元ナチス親衛隊だったのさ...。だから戦後亡命していたんだ...。」

「(...マジかよ...。)」

「個人的に親しくしていたから、彼らのニュージャージーの自宅に行ったこともあったけど、昔のSSの制服を着たご主人の若いころの写真があったりして、ありゃおったまげたね。ほら、さっき言ったけど、うちの妻はユダヤ人だったからねぇ...。

「そりゃ...ちょっと...驚きだったでしょうね...。」

「いや、みんなもう過去の話さ。アメリカまでやってきて過去を引きずっているのもバカバカしいはなしだろ。」

「はぁ、なるほど...。」

「まぁそんなわけで、今ではあの夫妻の娘さんがこの店を仕切っているのさ。」

なるほどね~...と話を聞きながら、話題はご老体のご趣味のスキーにうつり、つぎにフスバル(サッカー)なぞお好きですか?と聞いてみたら、

「いや、もうサッカーは見ないね。バイエルン・ミュンヘンだろうが、どこのチームだろうが、最近はプレーヤーが外国人ばかりで...あれはドイツのチームではない!」

「...」

「大体ケルンにモスクを建てるなんて話、どうなっとるんだ!」

「...(話題を変えよう...)そういえば最近1954年ワールド・カップの話の映画がありましたね...『ベルンの奇跡』でしたっけ?」

「そう!あれは忘れられない試合だった...決勝でハンガリーに2点先行されたあとに逆転...3-2...ドイツ初優勝...

...とご老体の目が遠くを見つめて潤んできたところで、

「...おぉ、もうこんな時間か...それでは...」

と失礼しようとしたところ、

「もしよかったら15日のパレードにおいで。」

との一言。

915日にドイツ系アメリカ人のパレードがあるのだとか。来賓はドイツ系アメリカ人で国務長官まで上り詰めたキッシンジャーさんと、東西ドイツ統一の功労者、ヘルムート・コール元首相なんだと。

アメリカではユダヤ系アメリカ人の代表のようなキッシンジャーとコールが揃い踏みとは...ナチスの悪夢も遠くなりにけり...なんだろうか。

しかしこの店に通いつめたらビールとトン足であっという間に通風だな...。

2 comments:

ゴットフリート said...

このままオデッサファイルへ行く着くのかと思いドキドキしながら拝見しました。。。独語、片言でも出てくるのは素晴らしい!同じ先生に学んでいるはずなのに。。。

Yute the Beaute said...

いや...本当に片言しか出てこなかった...。正直自分でもショックです。