Thursday, March 12, 2015

Citizen Genet and Benjamin Netanyahu

Despite the American right's penchant for seeking the authenticity for their political wisdom and stance from their Founding Fathers, nobody seems to be mentioning the charming episode of endearing Citizen Genet, the French Ambassador to the newly established United States, in relation to the recent visit by the Israeli Prime Minister.

Citizen Genet appealed directly to the American people's support for the revolutionary government of France and its policy of war against Britain, by-passing the President. Sounds familiar? Even Secretary Kerry said that the recent event is unprecedented, but it was his illustrious predecessor, Jefferson, no less, who was stirring the pro-French sentiment from inside the cabinet.

After failing to secure the American support, Genet, instead of facing the real threat of guillotine on his return to France, married well into the New York's monied society and settled in Hudson Valley, the late18th century equivalent of fellowship at the Project for the New American Century or the Heritage Foundation, I suppose.

Friday, May 17, 2013

映画とTVで学ぶ「英国史」- VII


第二次世界大戦と戦後

第二次世界大戦のイギリスを代表する人物といえば、これは首相ウィンストン・チャーチルにほかならないわけですが、ここではあえて戦時中の宰相チャーチルではなく、それ以前の不遇時代のチャーチルをテーマにした「The Gathering Storm」(2002年)ご紹介したいと思います。

この映画にでてくるチャーチルはすでに政治的には「過去の人」と呼ばれ、常に不機嫌で周囲にあたりちらす困った老人。またチャーチルというと「イギリス紳士」の鑑ととらえている向きもありますが、その行儀の悪さは有名で、この映画ではチャーチル役を熱演するアルバート・フィニーはその傍若無人ぶりを思う存分に発揮しています。
 

史実にのっとり、ドラマの中でチャーチルは対ドイツ戦略において航空戦力の重要性を繰り返し説きますが、その航空戦力の切り札であったのが戦闘機「スピットファイア」。このスピットファイアの開発秘話を映画化したのが「The First of the Few」(1942年)です。もちろん戦時中の国威発揚を目的とした映画です。

この作品を制作、監督そして主演したのが俳優のレスリー・ハワード。「風と共に去りぬ」のアシュレー役で有名ですが、ハンガリー系のイギリス人であり、またユダヤ人でもありました。ハワードは1943年6月、中立国ポルトガルでの講演旅行からイギリスへの帰途において、彼を乗せた旅客機がドイツ空軍の戦闘機に撃墜され非業の死を遂げます。なぜ戦闘の対象外となっていた旅客機をあえて攻撃したのか。ハワードの暗殺が目的だったのか。この事件は「BOAC777便のミステリー」として知られています。

そうしたハワードのミステリアスなバックグラウンドも興味深いですが、日本人としてこの映画が面白い理由は、ジブリが「紅の豚」を作るにあたってこの映画を参考にしただろうと思われるからです。

もともとスピットファイアのスーパーマリン・エンジンは水上飛行機のスピード競争、「紅の豚」でもくり返し言及される「シュナイダー・カップ」向けに開発されたもので、この映画でもシュナイダー・カップの場面が出てくるのです。ジブリのファンの方は、この映画を見ながら、「紅の豚」と比較してみるのも一興かもしれません。
 


第二次世界大戦の対独戦争に勝利を収めたチャーチルは、1945年7月の総選挙でまさかの大敗を喫し、政権を労働党のクレメント・アトレーに明け渡すことになります。

完全雇用と福祉社会の構築を基本政策と掲げ、輝かしい戦勝国としての未来像を目指して発足した労働党政権でしたが、戦時借款の重圧と崩壊していく大英帝国システムの再構築の板挟みとなり、困難な政権運営を余儀なくされます。

そうした政治のウラでは、戦時中と同じ物資配給による生活を強いられ、遅々として進まない戦災からの復興に業を煮やした庶民がいました。

こうした庶民の不満を代弁したのが、英国からの独立を宣言したロンドンの市民を描くドタバタ喜劇、 映画「Passport to Pimlico」(1949年)です。
 

この映画の存在と、これが当時の世相を反映したものであることを私に教示してくれたのは、ジャーナリスト、アンドリュー・マーのTVドキュメンタリー、「History of Modern Britain」でしたので、こちらもご紹介しておきます。

結局、戦後の英国はアトレー内閣が端緒をつけた社会主義国家への胎動と、それに対する保守の反動という不毛な振り子のような道を歩むわけですが、その結果は非効率的な国有企業の群れに代表される肥大化したパブリック・セクターと、横暴化した労働組合でした。また財政難によりかつての大英帝国を維持する国力を失い、植民地は次々と独立していきます。

このように落ち目に歯止めをかけられない、「決められない」政府を揶揄して大ヒットしたのがTVコメディー・シリーズ、「Yes, Minister」(1980年)と、その続編「Yes, Prime Minster」(1986年)です。こちらに関しては、すでに以前のエントリーでとりあげていますので、ご参照ください。
 

こうしてすっかり自信喪失に落ち入っていた英国に、緊縮財政と国有企業の民営化という往復ビンタの喝を入れ、おまけにフォークランド戦争での勝利をもたらしたのが鉄の女、マーガレット・サッチャー首相です。

サッチャー首相は最近では「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙(The Iron Lady)」(2011年)でとりあげられていました。
 

しかしここはあえてサッチャー時代の影ともいえる、彼女の「往復ビンタ」の影響を最も受けた英国の炭坑産業コミュニティーを題材にした映画を紹介します。

ひとつは炭坑の閉鎖と共に解散を余儀なくされる、炭坑夫たちによるブラスバンドの顛末を描いた「Brassed Off」(1996年)。
 

そしてもうひとつは、ミュージカルにもなった「Billy Elliot」(2000年)です。
 

バレーに夢をかける息子のために、炭坑閉鎖反対デモの列を離れ、スト破りを選択する父親の苦渋の選択と、バレーダンサーとして大成する息子の姿に、現代の英国に暮らす英国人たちが自分史を重ねつつ共感し、大ヒット作品となりました。

映画とTVで学ぶ「英国史」- VI


大英帝国の全盛から第1次世界大戦まで

「国王の歴史」から「国民の歴史」となった近代以降になりますと、この時代を背景にした文学作品映画、TVドラマの数が多すぎ、なにが歴史の勉強になるのか難しい選択になります。チャールズ・ディケンズやジェーン・オースティンの小説なども立派な史料ですので、これらを題材とした映画やTVドラマなども立派な教材になりえます。

そこであえてあまり日本人になじみのない史実を題材とした、「Zulu」(1964年)をご紹介します。
 

この映画は1789年に南アフリカの地で起こった大英帝国とズールー王国の戦争中のエピソードを題材にしたものです。

南アフリカでの領土と利権の拡大を目指す大英帝国は、すでに17世から入植していたオランダ系のボーア人を追い立て、追い立てられたボーア人が内陸部に入植した結果として南アフリカの原住民であるズ―ルー族との戦争となります。

1879年1月22日、ズ―ルー族の戦士約2万が、イサンドルワナの丘付近に野営した英国軍の兵士約1,300人に襲いかかり、大英帝国軍は全滅します。

翌1月23日、イサンドルワナから約15キロ離れたロークズ・ドリフトの砦にいた139名の英国軍兵士にズール―族の別働隊約4,000が襲いかかりますが、チャード中尉指揮下の英軍は奮戦し、2日間にわたったズ―ルー族の猛攻に良く耐え、砦を守りぬきます。

映画はこのロークズ・ドリフトの戦いをテーマにしたもので、植民地戦争の血なまぐささをいやというほどに観賞できます。最後に反戦メッセージのようなシーンがありますが、あくまでイギリス側の視点で語られるストーリーにちょっと引いてしまうかもしれません。映画ファンには、これが映画デビューだったマイケル・ケインのハンサムぶりがボーナスでしょうか。


こうした血の犠牲の上に築かれた大英帝国も、第1次世界大戦(1914~1918)の塹壕戦の中に沈んでいきます。

第1次世界大戦を背景としたドラマとなると、それこそ星の数ほどあります。最近だけでも「カリブの海賊」を卒業したキ-ラ・ナイトレ―が主演した「つぐない(Atonement)」(2007年)や、フォード・マドックス・フォードの小説をTVドラマ化した「パレーズ・エンド(Parade's End)」(2012年)などがあります。
 

 

ここもあえて、日本ではあまり知られていないけれど、イギリスでは有名な作品ということで、ミスター・ビーンことローワン・アトキンソンが主役をつとめたTVコメディー・シリーズ、「ブラックアダ-(Blackadder)」の第4シリーズ、「Blackadder Goes Forth」(1989年)をご紹介します。

本来ハチャメチャなコメディー・シリーズなのですが、シリーズ最終回が思わぬシリアスなエンディングとなり、初放映から四半世紀もすぎようという今でも人気を博しています。
 

映画とTVで学ぶ「英国史」- V


ハノーヴァー朝(1714~)

アン女王は17回妊娠するも、そのすべてが死産もしくは出産後数日中に幼児が夭折するという悲劇に見舞われます。1714年に跡継ぎをもうけることなくアン女王が亡くなった時点で血縁的に一番玉座に近かったのは、亡命したジェームズ2世の長子、メアリー2世とアン女王にとっては異母弟にあたるジェームズ・フランシス・エドワード・スチュアート、別名オールド・プリテンダーでした。

しかしカソリック教徒のジェームズはイングランド国会にとっては受け入れられず、したがってイングランド国会はジェームズ1世の孫にあたるハノーヴァー選帝侯の妃、ソフィアとその後継者ををアン女王の跡継ぎと指名します(1701年の王位継承法 Act of Settlement)。

残念ながら、ソフィア妃はアン女王の臨終の数週間前に死亡。イングランド王位の座はソフィアの息子、ハノーヴァー選帝侯ゲオルグ・ルードヴィッヒ、つまりイングランド王ジョージ1世に受け継がれることになり、王家はスチュアート朝からハノーヴァー朝にうつることになります。

イングランド国会にとっては、国王がプロテスタントであることが最低の条件だったわけですが、新国王ジョージ1世はプロテスタントである以上に外国人、早い話がドイツ人でした。必然として新国王の関心はヨーロッパ大陸における外交であり、イングランドをはじめとするブリテン島とアイルランドの内政はおろそかになりがちになります。

そこで不在がち、かつ外国人である国王に代わり議会の第一人者が首相(Prime Minster)として実際の政務を執り、国王は「君臨すれども統治せず」という英国式立憲君主制度と院内内閣制度が発展していきます。サウスシ―・バブル(South Sea Bubble)の名で知られる金融バブル事件(1720年)の後始末をやってのけ、事実上初代首相となったのはロバート・ウォルポールでした。

ウォルポールの場合は国王の意を受け、それを政策の基軸として国庫のカギを握る国会を運営することが首相の役目でしたが、そのうちに政治家とその政党が、国王の意志とは関係なく、独自の考えにおいて国益とするところを定め、それを目的に政策を定めるようになります。

こうした動きの中心となったのが、ウォルポールの政敵であったコブハム卿(Viscount Cobham)でした。コブハム派と呼ばれるグループは、イングランドの繁栄の基礎を積極的な植民地政策と活発な貿易活動に求め、対フランス戦争をヨーロッパの戦場のみに限定せず、全世界戦争として展開する道を歩み始めます。つまり名誉革命で芽吹いた大英帝国への夢はこの時代に実現へのスピードを増していくことになるわけです。

「大英帝国は、歴史上のうっかりから誕生した。」などといわれますが、実際にはこのコブハム派の思想から生まれたと言えるでしょう。

コブハム派の政治家で最も著名なのは大ピットとよばれるウィリアム・ピット(首相在任1766~1768)です。彼は7年戦争とよばれる対フランス戦争(1754~1763)においてリーダーシップをとり、この戦争において戦線を北米(ケベックの戦い1759年)、カリブ海、アフリカ、からインド(プラッシーの戦い 1757年)まで広げます。7年戦争が世界史上、最初の世界大戦といわれる由縁です。

映画の紹介もなく長々と歴史の推移の移り変わりの説明をしてしまいました。名誉革命以降のイギリスの歴史は「国王の歴史」から「国民の歴史」にうつっていったといえるでしょう。したがって王とその周辺の個人に焦点をあてた「ドラマ」として劇化することが難しいといえます。あまりご紹介できる映像作品がないのもそのせいです。

さてコブハム派の思想と、大ピットによる世界帝国政策の施行はアメリカ独立戦争という思わぬ副産物を生むことになります。世界規模の戦争の遂行には財源が必要であり、その目的のため、英国政府が安易に裕福な北米植民地に税を科そうとしたことが裏目にでます。8年間にわたる独立戦争の末、1783年パリ条約により英国はアメリカ合衆国となった北米植民地を失うことになります。

7年戦争後の好スタートとアメリカ独立戦争の失敗、そして対ナポレオン戦争の間、国王として君臨したのはジョージ3世(1738~1820、在位1760~1820)でした。「ドイツ人」であった祖父ジョージ1世や、父ジョージ2世と異なり、みずから「英国人」をもって任じていたジョージ3世でしたが、晩年は認知症を患うという不幸に見舞われました。

この国王の「ご乱心」を題材にしたのが「The Madness of King George」(1994年)という映画です。どうにも残念な邦題は「英国万歳!」。
 

もともとは「The Madness of King George III」という題名のヒット舞台劇でしたが、映画化に際してハリウッドのプロデューサーが、「George III」とローマ番号がついたタイトルのままだと、アメリカ人はシリーズものだと思って「パートIとパートII観てないんじゃ、パートIIIだけ観てもしょうがないよね...」となるだろうから...、という理由でタイトル変更したというのは有名なエピソードです。

映画の冒頭にでてくる国会開会における国王のスピーチの場面から、立憲君主制がある程度発展した当時における国王とその首相(劇中では大ピットの息子、小ピット)そして野党党首(チャールズ・フォックス)の関係がよくわかると思います。

映画とTVで学ぶ「英国史」- IV


スチュアート朝の成立から、清教徒革命、王政復古、名誉革命まで(1603~1689)

生涯独身で終えたエリザベス1世には当然ながら後継ぎがおらず、ヘンリー8世のお姉さん(エリザベス1世にとっては伯母さん)で、スコットランド王ジェームズ4世に嫁いでいたマーガレット・チューダーの孫にあたるスコットランド王ジェームズ6世をイングランド王ジェームズ1世として迎え入れます。ここにスチュアート朝の下におけるイングランド・ウェールズ・スコットランド・アイルランドにまたがる連合王国(United Kingdom)の歴史の端緒をつけることになります。

この時代は経済活動の発展により力を得た市民パワーと、フランス国王ルイ14世に代表されるヨーロッパ大陸的王権神授説にかぶれた王様たちのワガママが衝突を繰り返し、ついには王党派と議会派による内戦・革命に発展するというドラマティックな時代です。

しかし残念ながらシェークスピアに比肩する作家がこの時代を題材に筆を揮わなかったためか、王様の宮廷文化がフランスを模倣することに終始したせいか、もしくはピューリタン(清教徒)といういささか偽善的なまでに清貧を旨とする狂信的プロテスタント・キリスト教原理主義者たちが猛威をふるったせいか、文学作品的には比較的まずしい時代です。

そんなわけで、上記の名作群に比するといささか見劣りするかもしれませんが、「クロムウェル 英国王への挑戦(To Kill a King)」(2003年)という、議会派軍の指揮官として内戦を制し、ついにはチャールズ1世を処刑するに至るオリバー・クロムウェルを主役に据えた映画をご紹介しておきます。
 

クロムウェルは護国卿として共和制となったイングランドを治めるのですが、彼の死後、政治は混乱。その虚をついて当時はスペイン領であったオランダ南部に亡命していたチャールズ1世の息子、チャールズ2世が王位に返り咲きます。いわゆる王政復古/Restoration(1660年)です。

この王政復古の時代を扱った、それこそ「Restoration」(1995年)という題名の映画があります。邦題は「恋の闇 愛の光」。どうも残念な邦題ですが、映画作品としてもなんとなくシマリのない作品です。今をときめくアイアン・マン野郎、若き日のロバート・ダウニー・ジュニアと、豪華なコスチュームを観るぐらいの価値はあるかもしれませんので、一応ご紹介しておきます。
 

命からがらの国外逃亡から、亡命生活の苦難を経て王位を奪還した苦労人、チャールズ2世でしたが、彼のあとを継いだ実弟のジェームズ2世(在位1685~1688)はプラクティカルだったお兄さんとことなり、どうしてもカソリック信仰を捨てきれず、これがヘンリー8世の英国国教会設立以来カソリック・アレルギーとなっていた英国国民と、その代表としての議会の反発をかいます。ところが王権神授説にすっかり感染していたジェームズ2世は、そんな反対を意に介さず、カソリック教を国の宗教として復権させることを自らの使命と思い込み、次々と自らの退路を閉ざすような宗教政策を推しすすめます。

ついには聞き分けのない王を見放した議会が、王の前妻による娘(メアリー2世)、そしてその婿で当時のプロテスタント勢力のリーダー的存在であったオランダ総督オレンジ公ウィリアム(後のイングランド王ウィリアム3世)を招聘し、ジェームズ2世に代わって王位につくことを要請します。

最初は神より賜った使命に殉じるつもりだったジェームズ2世でしたが、彼の元に集まる味方は少なく、すっかり意気消沈してしまい、結局一戦も交えること無く、フランスに亡命。これが世に言う「名誉革命(Glorious Revolution)」(1688~1689)です。

この時代の出来事は、後のイギリスの議会制民主主義の発展におおきな影響を及ぼしただけでなく、当時経済・貿易政策と金融・市場経済の最先端をいっていたオランダのノウハウがイングランドにもたらされることにより、後の大英帝国の礎を成した、エポック・メイキングな事件なのですが、どうもどこかの国の最後の将軍様のようにスピリチュアルな面は豊かでも、肝心なところで敵前逃亡してしまったという、キャラが立たないジェームズ2世のおかげでドラマになりにくい時代のようです。私の知る限り、名誉革命を題材にした映画というのは聞いたことがありません。そこでTVドキュメンタリー番組を紹介しておきます。

イギリスの歴史学者、デイヴィッド・スターキーとBBCが組んで作成・放映した「Monarchy」シリーズ(2004~2007年)の「The Glorious Revolution」です。
 

名誉革命以降、ウィリアム3世とメアリー2世の共同統治、メアリー2世死後のウィリアム3世の単独統治、その後を継いだメアリー2世の同母妹、アン女王の統治(在位1702~1714)と国内的には安定が続き、国力が充実。1704年にはついに宿敵フランスをブレニムの戦いにおいて完膚なきまでに叩きのめします。このときの指揮官がマールバラ公爵ことジョン・チャーチル。あの第二次世界大戦の時の首相、ウィンストン・チャーチルの御先祖様にあたります。

もともとジェームズ2世のお気に入りだったジョン・チャーチルですが、名誉革命の折には勝ち馬のウィリアムとメアリーに寝返り、革命後も宮廷政治における数々の危機をアン女王のお気に入りだった妻、サラ・チャーチルのとりなしで何とか乗り越えてきた苦労人。まさに「すざまじきものは宮仕え」を地でいった人生でした。

映画とTVで学ぶ「英国史」- III


近世:チューダー朝(1485~1603)

リチャード3世をボズワースの戦いで葬り、イングランド王位に就いたヘンリー7世(1457~1509、在位1485~1509)は、ヘンリー2世より続いたプランタジネット朝に代わって、チューダー朝を開きます。

ヘンリー7世、ヘンリー8世、エドワード6世、メアリー1世、エリザベス1世と続くこの期間、イングランドは王権がより強固になります。その理由としては、ひとつにはそれまで相次ぐ内乱の原因でもあった諸侯・貴族の力を削ぎこれを抑えたこと。そしてなによりも、ヘンリー8世の女性関係のもつれから、カソリック教会と訣別し、国王を信仰の保護者と戴く英国国教会を創立したことがあげられます。

カラフルなヘンリー8世や、その娘エリザベス女王と、「キャラが立ってる」主役級がそろったこの時期も、芝居や映像作品の題材としてよくとりあげられてきました。

ヘンリー8世を扱ったものとしては、最近のTVシリーズ「チューダーズ」が有名ですが、どうもなんだか私にはコスチューム・ソフトポルノにみえてしまい、好きになれません。(ソニー・ピクチャーズ、申し訳ない。)
 

ヘンリー8世の二番目の妻、アン・ブーリンにまつわるヨタ話を題材に映画化した「ブーリン家の姉妹」(2008年)などという作品もありますが、所詮は異説もの(面白い異説ですが)。どちらかといえば、歴史のお勉強というよりは、それぞれ姉と妹を演じるナタリー・ポートマンとスカーレット・ヨハンソンのファン向け映画といった趣があります。
 

あまり昔の映画ばかりを選びたくないのですが、やはりヘンリー8世を題材にした映像作品では、1966年の「わが命尽きるとも(A Man for All Seasons)」が群を抜いているように思えます。

物語の焦点を、やりたい放題のヘンリー8世にたてついた一市民トーマス・モアにあてた作品で、モア役のポール・スコフィールドが輝いています。王と宗教の対立ということで、前述の「ベケット」に通じるテーマですが、ヘンリー2世/ベケットの時代とことなり、チューダー朝の時代になると宗教そのものというよりも、個人の信仰/良心の自由ということにフォーカスがシフトしているところが「近世」を感じさせます。
 


ヘンリー8世の娘、エリザベス1世は、映画・TVの題材としてひっぱりだこなので、選択の対象が多すぎるようにも思えます。

古くには、第二次世界大戦直前のイギリスで、国威発揚を目的に作られた「無敵艦隊(Fire over England)」(1937年)などという作品があり、これはこれで作成された時代を反映していておもしろいのですが、ここはやはり「とっつきやすさ」ということで、比較的最近にケイト・ブランシェットがエリザベス1世を演じた「エリザベス」(1998年)、そしてその続編、「エリザベス:ゴールデン・エイジ」(2007年)をおすすめします。
 

 

映画とTVで学ぶ「英国史」- II


バラ戦争(~1485)

ヘンリー2世が開いたイングランドとフランスにまたがる大帝国も、イングランド王家としてのプランタジネット朝も、バラ戦争と呼ばれる30年あまりにわたる内乱で壊滅していきます。

この時代は、エリザベス朝の「大河ドラマ作家」ことシェークスピアが彼の史劇の題材としてとりあげたので、数ある映画化作品、TVドラマ化作品から選ぶのが困難ですが、あえて最新バージョンをおすすめします。昨年(2012年)、オリンピック・イヤーあやかってBBCが作成した「The Hollow Crown」です。
 

このTVシリーズは、バラ戦争の起源となるプランタジネット朝の一派、ランカスター家の擡頭を扱った、シェークスピアの「リチャード2世」、「ヘンリー4世 第1部・第2部」、「ヘンリー5世」を通しでドラマ化した作品です。年代的には14世紀の終わりから1415年までをカバーしています。

個々の劇作品が粒ぞろいで、特に「ヘンリー5世」などはたびたび映画化されてきた作品ですが、やはり通しで物語を追うことにより、歴史の流れがつかみやすいと思います。また、やはり最近の作品なので、その演出の意図するところなども分かりやすいでしょう。

バラ戦争の本番ともいうべき、ランカスター家とヨーク家の争いを扱ったのは「ヘンリー6世 第1部・第2部・第3部」そして「リチャード3世」ですが、後述する「リチャード3世」をともかく、「ヘンリー6世」 を題材とした映像作品は思いつきません。唯一の例外は1970年代から80年代にかけてBBCが作成・放映したシェークスピア全作品シリーズに含まれているものですが、舞台劇の演出をそのままテレビカメラに収めたもので、ちょっと取っつきにくいかもしれません。しかし、いかにも内乱時代を感じさせる向背常ならないカラフルな登場人物たちが織りなすドラマはなかなか面白いので、興味のある方は登場人物表と首っ引きでマスターしてみるのも一興でしょう。
 

バラ戦争の内乱の最後を飾るのはプランタジネット朝最後の王、リチャード3世です。最近、ボズワースの戦い(1485年)で戦死したリチャード3世の遺骨が、かつての戦場の近くの駐車場の一角で発見されて話題になっていました。王位簒奪のために実兄や甥を殺し、権謀術数のかぎりを尽くした後、最後の戦いでみじめに「悪の華」を散らせていく。魅力にあふれた悪役としてこれも多くの映像作品が残っています。古くはローレンス・オリビエの「リチャード3世」(1955年)が有名です。
 

アル・パチーノがリチャード役を演じる役者の視点からシェークスピアの作品をとらえたドキュメンタリー調の「Looking for Richard」(1996年)などという作品もありました。
 

しかしセッティングを現代に置きかえた作品ながら、あえてここでイチオシさせていただきたいのは、「X-メン」のマグニートーことイアン・マッケランがリチャード3世を演じた1995年の作品です。スピーディーな演出と、主役の名演技を通じて、リチャード3世の興亡の煌めきを印象深く記憶に刻むことができると思います。
 

映画とTVで学ぶ「英国史」- I


古代

文明世界の記録としての「歴史」にイングランド、もしくはブリテン島が登場するのは、ジュリアス・シーザーの「ガリア戦記」がその嚆矢です。しかしこの時代のイングランドは文明的には暗黒時代。残念ながら「歴史」というより「神話」の時代といえます。

日本に関する最初の歴史的記録が中國の三國時代の正史「三國志」、その中で魏の歴史をあつかった「魏書」、その辺境の異民族について書いた「東夷伝」、その倭人の条に記載があるのみで、日本の歴史の上では記紀の神話時代であったこととよく似ています。

Yes, I am a Jew, and when the ancestors of the right honourable gentleman were brutal savages in an unknown island, mine were priests in the temple of Solomon. 


「おっしゃるとおり、私はユダヤ人です。そして閣下のご先祖様が未開の地の野蛮人に過ぎなかった頃、私の祖先はソロモンの神殿に仕える祭司でした。」

(イギリス国会で「このユダヤ人め!」と野次られた後の宰相ベンジャミン・ディズレーリの一言。)

残念ながら、この時代を扱った映像作品はあまりありません。西ローマ帝国最後の少年皇帝がブリテン島まで逃げてきて、のちにアーサー王の剣となるエクスカリバーを残していった、などというストーリーの「The Last Legion」(2007年)という映画がありますが、歴史ドラマというよりはファンタジー作品といったほうがよいでしょう。  

その他、数多いアーサー王伝説にまつわる映画、TV作品も、ファンタジーのたぐいです。民俗学的におもしろいものもありますが。


ノルマン征服からヘンリー2世まで(1066~1189)

イングランドが強力な王権の下の統一国家としての道を歩み始めたのが、1066年のノルマンディー公爵ウィリアムによるイングランドの征服、そして彼のイングランド王としての即位。いわゆるノルマン・コンクエストです。

強力な武力に依拠した統一政権樹立ということで、東国武士団による鎌倉幕府の樹立(1192年)にもつながります。ウィリアムの直系の子孫が3代で滅んでしまったというのもまるで頼朝、頼家、実朝と三代で途絶えた源家将軍のミラー・イメージです。

中継ぎの王様、ブロワ朝のスティーブン王の下での無政府時代の混乱をまとめたのが、初代ウィリアム征服王の孫にあたるマティルダ妃とその息子、後のヘンリー2世(1133~1189、在位1154~1189)。初代プランタジネット朝のイングランド王です。

ヘンリー2世は主に婚姻と血縁に基づいた巧みな外交と、ツボを抑えた局地的軍事力の行使により、イングランドのみならず、フランス西部のほとんどをその版図とする一大帝国の王様になります。

英国法で、法律としての効力を認められる慣習(custom)は、「大昔から(time immemorial)」の慣習であることが条件になっていましたが、英国法の世界で「大昔」とはヘンリー2世の治世以前を指すことになっています。

それというのも、精力的なヘンリー2世が法制度の整理と改革にも力を注いだからで、彼の治世以降、つまりヘンリー2世のあとを継いだリチャード1世(ライオンハート=獅子心王)以降の時代は記録された法律の時代とされたのです。

ですから、たとえばある領主が、「この土地は昔からオレ様の家の土地だったんだから、オレ様のもんだ!」という主張を証明したければ、たとえリチャード1世の治世以降の記録が無くても、ヘンリー2世の時代に所有権が確立していたことを立証することで、その証明をなし得たわけです。

この中世ヨーロッパ世界の大物、ヘンリー2世を一度ならず二度までもスクリーンで演じたのが、名優ピーター・オトゥール。

最初は「ベケット」(1964年)。
 

次に「冬のライオン」(1968年)。
 

晩年のヘンリー2世を演じるオトゥールと演技の火花を散らせる女王エレノア役のキャサリン・ヘップバーン、そして後継ぎのリチャード獅子心王を演じる若き日のアンソニー・ホプキンスということで、「冬のライオン」もいい作品ですが、歴史のお勉強としては「ベケット」がいいかもしれません。当時のイングランドにおける征服者としてのノルマン/フランス人と、被征服者としてのアングロ・サクソン人の対比。王権と宗教権の対立などが、ストーリーに織り込まれているからです。またヘンリー2世を演じるオトゥールと、カンタベリー大司教トーマス・ベケットを演じるリチャード・バートンの当時の二大俳優のそろい踏みもなかなか見応えあります。二人とも舞台経験が豊富なので、セリフ回しが比較的に明快に聞き取れます。

(但しこの「ベケット」には史実と異なる点がいくつかあるのでご注意を。例えばベケットは映画で言われるようにサクソン系ではなくノルマン系の人物です。)

Saturday, January 01, 2011

新年のご挨拶


新年あけましておめでとうございます。

昨年の初夏の頃より、当地香港における気のおけない友人と共に意見を交わす際、常に話題になったのは、「質への逃避(Flight to Quality)」と「社会不安」ということでした。

グローバルな金融に対する国家権力のコントロールと規制の限界を露呈したリーマン・ショック以降、国家レベルでの政策手段しか持ち得ない先進国の各国政府は、世界経済というモンスターを制御することあたわざるままに、「成長」というハイを追い求め、「借金財政」という薬物を無闇に打ち続けるジャンキーと化してしまったかのようです。すでにギリシャとアイルランドがリハビリ施設送りになったことはみなさんご承知の通り。もちろん最大の中毒患者は日本です。(もっとも既に「ハイ」を味わうことなく、禁断症状ばかりの状態ですが。)

躍進する中国とて、世界経済という奔馬にふりまわされているのは同じこと。リアルなインフレ不安と、それに対する中央政府の矢継ぎ早、かつランダムな対策で市場が混乱しています。この傾向は来年以降も続いていくことでしょう。おかげさまでリスクマネーは不動産では上海、北京、海南島と逃げ回り、不動産の高騰に慌てた中央政府が引き締めに出たところ、ニンニク、トウガラシ、白菜と食品物をつづけざまに狙い撃ち。おかげで韓国ではキムチパニックが発生。さすがに食品は一般庶民の懐を直撃するので、政府も投機マネーの閉め出しにかかったところ、「上に政策あれば、下に対策あり」のお国柄。すぐさま照準を銅、金といった鉱物資源や、綿などに変えてきております。

来年はドルに対する為替不安や、ソヴリン債に対する信用不安、そして特にアメリカの地方政府債のデフォルト・リスク(そして日本の財政破綻)など、世界経済との接続不良をおこしている「いけていない政治権力」を起因とした不安材料が山積しており、中国の投機家よろしく「質への逃避」が世界規模でのお祭り騒ぎになるような気がしております。

また財政不安に呼応して、国家という旧態然の枠組みの下における既得権益としての社会保障にメスが入り始めたことにより、ヨーロッパ各国ではデモやストが多発し、「社会不安」が現実のものとして再浮上してきました。日本でもまだお行儀が良いものの「世代間格差」という合言葉がキナ臭いものを発しつつあります。

「社会不安」という点においては、中国は慢性的問題を抱えています。国家レベルの急成長にのりきれていない労働者階級や、万年就職難に喘ぐ若者世代を中心に不満が蓄積され、今夏の華南地方におけるスト騒動につながったことは尖閣以前の大きなニュースとなりました。

こうした現状の下、2011年はどのような年になるのでしょうか。

先日、目にした金融関係の業界誌には「Year of Valuation」という見出しが躍っていました。「価値評価の年」。

もちろんこの文脈では「資産価値」をさしているわけですが、私の目には多くの示唆に富むものとして映りました。

いったい今の世界において何が「価値」を形成するのか。世界的規模において、より実体経済に軸足をおいた「価値」の再評価が始まるのだとすれば、それは新たな時代の始まりを意味するものではないかという気がしております。

もちろんこれからの海路、かなりの荒れ模様となる気配ですが、私としましては「成功毎在苦窮日」のモットーを忘れずに、自らの「価値観」を常に見直し確認しつつ、荒波を乗り切っていきたいと思っております。

最後となりましたが旧年中にいただきましたご厚情に深く感謝いたしますと共に、本年も変わらぬご指導のほどをお願いし、新年の挨拶に代えさせていただきます。

Wednesday, May 12, 2010

Tuesday, May 04, 2010

Thursday, April 29, 2010

Tuesday, April 20, 2010

ウォールストリートの大掃除

「この先6ヶ月間、ノンストップのスキャンダル報道...」

これがうまくいけば、中間選挙民主党大勝利というシナリオも見えてくる。



AIG(実質上アメリカ政府の管理下)がゴールドマンを訴えるという話もある(コチラ)。
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