Friday, May 17, 2013

映画とTVで学ぶ「英国史」- IV


スチュアート朝の成立から、清教徒革命、王政復古、名誉革命まで(1603~1689)

生涯独身で終えたエリザベス1世には当然ながら後継ぎがおらず、ヘンリー8世のお姉さん(エリザベス1世にとっては伯母さん)で、スコットランド王ジェームズ4世に嫁いでいたマーガレット・チューダーの孫にあたるスコットランド王ジェームズ6世をイングランド王ジェームズ1世として迎え入れます。ここにスチュアート朝の下におけるイングランド・ウェールズ・スコットランド・アイルランドにまたがる連合王国(United Kingdom)の歴史の端緒をつけることになります。

この時代は経済活動の発展により力を得た市民パワーと、フランス国王ルイ14世に代表されるヨーロッパ大陸的王権神授説にかぶれた王様たちのワガママが衝突を繰り返し、ついには王党派と議会派による内戦・革命に発展するというドラマティックな時代です。

しかし残念ながらシェークスピアに比肩する作家がこの時代を題材に筆を揮わなかったためか、王様の宮廷文化がフランスを模倣することに終始したせいか、もしくはピューリタン(清教徒)といういささか偽善的なまでに清貧を旨とする狂信的プロテスタント・キリスト教原理主義者たちが猛威をふるったせいか、文学作品的には比較的まずしい時代です。

そんなわけで、上記の名作群に比するといささか見劣りするかもしれませんが、「クロムウェル 英国王への挑戦(To Kill a King)」(2003年)という、議会派軍の指揮官として内戦を制し、ついにはチャールズ1世を処刑するに至るオリバー・クロムウェルを主役に据えた映画をご紹介しておきます。
 

クロムウェルは護国卿として共和制となったイングランドを治めるのですが、彼の死後、政治は混乱。その虚をついて当時はスペイン領であったオランダ南部に亡命していたチャールズ1世の息子、チャールズ2世が王位に返り咲きます。いわゆる王政復古/Restoration(1660年)です。

この王政復古の時代を扱った、それこそ「Restoration」(1995年)という題名の映画があります。邦題は「恋の闇 愛の光」。どうも残念な邦題ですが、映画作品としてもなんとなくシマリのない作品です。今をときめくアイアン・マン野郎、若き日のロバート・ダウニー・ジュニアと、豪華なコスチュームを観るぐらいの価値はあるかもしれませんので、一応ご紹介しておきます。
 

命からがらの国外逃亡から、亡命生活の苦難を経て王位を奪還した苦労人、チャールズ2世でしたが、彼のあとを継いだ実弟のジェームズ2世(在位1685~1688)はプラクティカルだったお兄さんとことなり、どうしてもカソリック信仰を捨てきれず、これがヘンリー8世の英国国教会設立以来カソリック・アレルギーとなっていた英国国民と、その代表としての議会の反発をかいます。ところが王権神授説にすっかり感染していたジェームズ2世は、そんな反対を意に介さず、カソリック教を国の宗教として復権させることを自らの使命と思い込み、次々と自らの退路を閉ざすような宗教政策を推しすすめます。

ついには聞き分けのない王を見放した議会が、王の前妻による娘(メアリー2世)、そしてその婿で当時のプロテスタント勢力のリーダー的存在であったオランダ総督オレンジ公ウィリアム(後のイングランド王ウィリアム3世)を招聘し、ジェームズ2世に代わって王位につくことを要請します。

最初は神より賜った使命に殉じるつもりだったジェームズ2世でしたが、彼の元に集まる味方は少なく、すっかり意気消沈してしまい、結局一戦も交えること無く、フランスに亡命。これが世に言う「名誉革命(Glorious Revolution)」(1688~1689)です。

この時代の出来事は、後のイギリスの議会制民主主義の発展におおきな影響を及ぼしただけでなく、当時経済・貿易政策と金融・市場経済の最先端をいっていたオランダのノウハウがイングランドにもたらされることにより、後の大英帝国の礎を成した、エポック・メイキングな事件なのですが、どうもどこかの国の最後の将軍様のようにスピリチュアルな面は豊かでも、肝心なところで敵前逃亡してしまったという、キャラが立たないジェームズ2世のおかげでドラマになりにくい時代のようです。私の知る限り、名誉革命を題材にした映画というのは聞いたことがありません。そこでTVドキュメンタリー番組を紹介しておきます。

イギリスの歴史学者、デイヴィッド・スターキーとBBCが組んで作成・放映した「Monarchy」シリーズ(2004~2007年)の「The Glorious Revolution」です。
 

名誉革命以降、ウィリアム3世とメアリー2世の共同統治、メアリー2世死後のウィリアム3世の単独統治、その後を継いだメアリー2世の同母妹、アン女王の統治(在位1702~1714)と国内的には安定が続き、国力が充実。1704年にはついに宿敵フランスをブレニムの戦いにおいて完膚なきまでに叩きのめします。このときの指揮官がマールバラ公爵ことジョン・チャーチル。あの第二次世界大戦の時の首相、ウィンストン・チャーチルの御先祖様にあたります。

もともとジェームズ2世のお気に入りだったジョン・チャーチルですが、名誉革命の折には勝ち馬のウィリアムとメアリーに寝返り、革命後も宮廷政治における数々の危機をアン女王のお気に入りだった妻、サラ・チャーチルのとりなしで何とか乗り越えてきた苦労人。まさに「すざまじきものは宮仕え」を地でいった人生でした。

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