Saturday, January 01, 2011

新年のご挨拶


新年あけましておめでとうございます。

昨年の初夏の頃より、当地香港における気のおけない友人と共に意見を交わす際、常に話題になったのは、「質への逃避(Flight to Quality)」と「社会不安」ということでした。

グローバルな金融に対する国家権力のコントロールと規制の限界を露呈したリーマン・ショック以降、国家レベルでの政策手段しか持ち得ない先進国の各国政府は、世界経済というモンスターを制御することあたわざるままに、「成長」というハイを追い求め、「借金財政」という薬物を無闇に打ち続けるジャンキーと化してしまったかのようです。すでにギリシャとアイルランドがリハビリ施設送りになったことはみなさんご承知の通り。もちろん最大の中毒患者は日本です。(もっとも既に「ハイ」を味わうことなく、禁断症状ばかりの状態ですが。)

躍進する中国とて、世界経済という奔馬にふりまわされているのは同じこと。リアルなインフレ不安と、それに対する中央政府の矢継ぎ早、かつランダムな対策で市場が混乱しています。この傾向は来年以降も続いていくことでしょう。おかげさまでリスクマネーは不動産では上海、北京、海南島と逃げ回り、不動産の高騰に慌てた中央政府が引き締めに出たところ、ニンニク、トウガラシ、白菜と食品物をつづけざまに狙い撃ち。おかげで韓国ではキムチパニックが発生。さすがに食品は一般庶民の懐を直撃するので、政府も投機マネーの閉め出しにかかったところ、「上に政策あれば、下に対策あり」のお国柄。すぐさま照準を銅、金といった鉱物資源や、綿などに変えてきております。

来年はドルに対する為替不安や、ソヴリン債に対する信用不安、そして特にアメリカの地方政府債のデフォルト・リスク(そして日本の財政破綻)など、世界経済との接続不良をおこしている「いけていない政治権力」を起因とした不安材料が山積しており、中国の投機家よろしく「質への逃避」が世界規模でのお祭り騒ぎになるような気がしております。

また財政不安に呼応して、国家という旧態然の枠組みの下における既得権益としての社会保障にメスが入り始めたことにより、ヨーロッパ各国ではデモやストが多発し、「社会不安」が現実のものとして再浮上してきました。日本でもまだお行儀が良いものの「世代間格差」という合言葉がキナ臭いものを発しつつあります。

「社会不安」という点においては、中国は慢性的問題を抱えています。国家レベルの急成長にのりきれていない労働者階級や、万年就職難に喘ぐ若者世代を中心に不満が蓄積され、今夏の華南地方におけるスト騒動につながったことは尖閣以前の大きなニュースとなりました。

こうした現状の下、2011年はどのような年になるのでしょうか。

先日、目にした金融関係の業界誌には「Year of Valuation」という見出しが躍っていました。「価値評価の年」。

もちろんこの文脈では「資産価値」をさしているわけですが、私の目には多くの示唆に富むものとして映りました。

いったい今の世界において何が「価値」を形成するのか。世界的規模において、より実体経済に軸足をおいた「価値」の再評価が始まるのだとすれば、それは新たな時代の始まりを意味するものではないかという気がしております。

もちろんこれからの海路、かなりの荒れ模様となる気配ですが、私としましては「成功毎在苦窮日」のモットーを忘れずに、自らの「価値観」を常に見直し確認しつつ、荒波を乗り切っていきたいと思っております。

最後となりましたが旧年中にいただきましたご厚情に深く感謝いたしますと共に、本年も変わらぬご指導のほどをお願いし、新年の挨拶に代えさせていただきます。