BBCのこんなサイトがあります。
英語の歴史。
なかなか面白いです。
ミュージカル・映画の「My Fair Lady」(といいますか、バーナード・ショーの戯曲「ピグマリオン」)でヒギンズ教授が言うように、英語と言う言葉は誰かがそれをしゃべれば、他の誰かがその人を憎むというように、あまりに多くの人たちによって、あまりにいろいろな話され方をしています。
こうした汎用性が現在の英語の世界言語としての地位を確固たるものにしている所以でしょう。いうなればOSソフトウェアのオープンソースみたいなもんですな。
かたや日本語は...難しいよね。
日本人じゃない人がいくら流暢に日本語しゃべっても、それは外国人の日本語に聞こえてしまう。
いわば英語が「開かれた言語」であるのに比べ、日本語は「閉じた言語」であるような気がします。
妻に言わせると広東語も「閉じた言語」なのだそうだ。
以前は世界中どこの中華街にいってもしゃべられている言葉は広東語だったが今ではそれが普通話に取って代わられている。
広東語がしゃべられていた理由は、世界に広がった華人ネットワークの主流が香港経由の広東人だったからでしょう。
また香港の経済力を背景にして、台湾人のテレサ・テンも北京出身のフェイ・ウォンも広東語の歌で香港デビューしていたわけだ。
しかし、妻によると広東語には独特の言い回しや、感嘆詞の使い方があり、そうした細部からネイティブ広東人なのか、ヨソモノなのかが簡単にわかってしまうらしい。
そうした意味では広東語も日本語同様、排他的な言語なのかもしれない。
もちろんいまでは広東語の本丸、香港でさえ普通話がはばを利かせています。
接客業はもちろんのこと、ヤムチャしに茶楼にいっても給仕のおばちゃんまで当たり前のように普通話を話しますし、仕事の採用で目を通す香港人の候補者(ホワイトカラー)の履歴書にも「普通話可」が当然です。
これにはもちろん中国の経済力の躍進が背景にあるのですが、それと同時に普通話が「開かれた言語」であることもその理由のようです。
中国各地に無数とある方言・中国語の亜種をしゃべる人たちにとって、普通話とはみんなが等しく「学んだ言葉」であり、そこには出身地による排他性などが比較的に介在しないらしいのです。(もちろん北京なまりの普通話だとか、上海なまりの普通話、四川なまりの普通話という違いはあるらしいですが。)
オレも早くしゃべれるようになりたい...。
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