以前のエントリーでお話していながら、顛末を記していなかったので、念のため。
12月第
1週に当地
Foreign Correspondets' Clubで行われたオフィスのクリスマス・パーティー。各グループの代表による「タレント・ショー」の余興に出演してまいりました。
本当は各グループのなかで5番目の出番のはずだった
Legal & Compliance代表の私とジョン君。
「私たちのボスが『一番最初はだめ』っていうので...お願い...代わってくださるかしら...」
と営業部隊のお姉さんに頭下げられて、あっさり、
「あぁ...いいですよ...」
と言ってしまった。
ジョン君、
「ボス~...なにデレ~ッとしてんですか...。本当に大丈夫なんですか、先頭で...。」
「う、うるさいなぁ~...オレに任しとけ...。」
てな具合で本番へ。全員着席のディナーが一段落し、お酒も回ってきた良い按配のころ。
われわれの出し物はジョンと私がケアしているアジア・太平洋州のそれぞれの国から代表的な歌を
1曲づつ選んできて、そのサビを歌うという趣向。それぞれの曲のサビ部分をつなげたトラックを我がマックで作っておいた次第は以前お話したとおり。
まずは香港。曲は
以前ご紹介の「獅子山下」。私が出だしを歌い、ジョンがそれを受け、サビを合唱。私の広東語の歌唱力に拍手が沸き起こる。エッヘン、プイ! ジョン相手にかなり練習したのだ。
ついで中国。世界的に有名な代表的中国歌謡曲というのが思いつかなかったので、ストレート直球勝負で中華人民共和国国家、「義勇軍行進曲」。五黄星旗もって紅衛兵よろしく部隊を行進。
つづいてシンガポール。さすがに何も思いつかなかったので、ジョンが口にしていたガム(シンガポールでは発売禁止)を吐き出す...手はずだったのが、ジョン...
「...いけね、わすれちゃった...」
...使えねぇなぁ...。
次にオーストラリア。こちらはカンタス航空のコマーシャルでおなじみ(らしい)、「
I Still Call Australia Home」という曲のさわりを私のソロで。こんな感じの曲です。
続いて、おとなりのニュージーランド。オーストラリアで綺麗な曲を使ったので、こちらもマオリのラブソング「ポ・カレカレ・アナ」でもやろうと思ったのだが、やはりコントラストを考えて、ミュージック・トラックに約
15秒のギャップをいれ、その間私がステージ中央でニュージーランド・ラグビーのハカをソロで熱演。
次は赤道をひとっとびして韓国へ。ここはジョン君がソロで韓国の
Rain(ピ)の真似(つもり)でステージを踊りまくるという...はずだったのだが、なんかジョン君、なれないステージでの緊張と興奮の限界だったらしい。突然なにを考えたのかニューヨークから出張中だった審査員役の本社役員の前に躍り出て、どちらかといえば
Rainというよりパパイア鈴木という感じで腰をフリフリしながら必死のアピールをはじめた。
そんな過呼吸寸前のジョンをなだめすかしてステージ中央に引きずり戻し、台湾へ。ここはお約束のテレサ・テン(鄧麗君)の「月亮代表我的心」の一番を合唱。
オーラス。日本。香港人中心の観衆に事前調査をしていたのだが、やはり音楽的にはこれが一番インパクトがあるということで、「東京ラブストーリー」から「ラブ・ストーリーは突然に」の出だしをボリューム大きめに流し、鈴木保奈美の写真(当時)をプリントアウトしたヤツをお面にしてかぶった私と、織田裕二のお面をかぶったジョンがステージ中央で抱き合う...。
それにしても「ラブストーリー」以来、日本の文化には見るべきものが無い、何も発信してきていない、ということなのだろうか。まぁ「ラブ・ジェネレーション」だとか「ロング・バケーション」だのというサジェスチョンもあったのだが、それも古いよな...。 (しかし、じつのところ
1989年から
11年間日本を留守にしていた私はここら辺の時代の日本文化をリアルタイムで経験していないのだ。)
最期はワムの「ラスト・クリスマス」を
BGMに拍手、お辞儀、退場。
結果としては(手前味噌で恐縮だが)、大ウケ。いや、バカウケしてしまった。その他のグループが無難に「クリスマス・キャロルの合唱」だとか「いつもお客さんの前でやっているプレゼンのパロディー」なんてのをやっているなかで、ここまでバカに徹した我々の潔さがうけたらしい。
もっとも最優秀賞は「営業グループ」がもっていった。ジョンは「八百長だ!」などといってプリプリしていたが、私は彼らの出し物を見ていないのでなんとも言えん。なぜならあの晩の私はステージを降りてすぐにオフィスに戻り、ニューヨークに電話しなければならなかったからなのでした。
翌日のオフィスでは、いままで言葉を交わしたことも無かった人々が口をそろえて、
「いやぁ、昨日のはよかったよ。」
かくして「クソマジメな日本人」という私の猫かぶりのかぶり物は永遠にぶち壊されたのでした。