Monday, December 31, 2007

It All Happened In 2007

2007年のハイライト

Saturday, December 29, 2007

Family Movie

わが家の奥方の誕生日。この作品が息子からのプレゼントだったらしい。

Friday, December 28, 2007

Blowback

パキスタンのブット元首相暗殺事件。自分で考えてみて、多分こんなんところじゃないかというあたりを書いておく。自分の見方が100%当たっているとは思わないが、とりあえず仮説を立ててみて、今後の時局の発展の中で自分の見方を検証していく出発点とするわけだ。

いくら民主的に選ばれたとはいっても、反アメリカ感情の民衆におもねるポピュリスト(要するに日和見主義)のリーダー、シャリフにがまんできなくなったアメリカが、軍のトップ、ムシャラフのクーデターを容認したのが199910月。それまで反米・親ソというスタンスだったおとなりのインドに対抗させる意味でアメリカはパキスタンに肩入れしてきていたわけで、そのみかえり(?)にパキスタンの不良・腐敗政治家連中をがまんしていたのだが、ソ連の崩壊とインドのアメリカへの歩み寄りの結果、そんな必要もなくなってきたわけだ。

2001年の9.11以降もムシャラフはイスラム過激派を弾劾し、ブッシュ大統領の覚えもめでたかった。

しかしブッシュとしてはどうしても任期が終わる前に、パキスタン・アフガン国境地域に潜伏しているらしいオサマ・ビン・ラディンを捕まえたいところ。一方ムシャラフとしては自分の脆弱な支持基盤をアメリカの手先としてちょこまかして、イスラム過激派を刺激、人心離反ということでむやみに犠牲にしたくはない。

あせるブッシュ政権。

しかしせっかく穏健派のムシャラフをトップに据えたのに、そのムシャラフにプレッシャーをかけることで得するのがイスラム過激派じゃ、パレスティナをハマス政権にのっとられた失敗の二の舞だ。

そこでムシャラフへの牽制・対抗馬として、まちがってもイスラム過激派の旗手などになりそうも無い、ブットを送り込む。

ところがブットのカムバックのどさくさにまぎれて1999年以来亡命していたシャリフまで戻ってきてしまい、パキスタンは政情不安の下降スパイラル。しかも来年早々には総選挙が控えている。選挙の結果で政局混沌...なんてことになってしまったら、とてもじゃないがオサマ捕縛...なんておぼつかない事態だ。

ここにいたってブットを捨て駒にし、暗殺の黒幕としてのイスラム過激派への憎悪で国民感情を統一させるという青写真を誰かが書いたとしても不思議じゃないような気がするのだが、どうだろう。

実際に引き金を引いたのがイスラム過激派だとしても、こんな絵を描いた人間は違うところにいる気がする。

タイトルにした「Blowback」とはCIAの隠語で、秘密作戦の影響で不測の結果が生じることをいう。たとえばアフガン戦争における対ソ連ゲリラ支援がアルカイダを産んだような事態だ。

この言葉が初めて使われたのはパキスタンのおとなり、イラン。1950年代。民主的に選ばれた首相モサデックのイラン石油産業の国有化運動に対抗して、パーレビ国王を担いだCIA主導のクーデターを起こしたのだが、結果としてこれがホメイニ師のグループによる反米イスラム原理主義クーデターの遠因となってしまった。

ここらへんに興味がおありの方はドキュメンタリー映画「Why We Fight」(2005)をどうぞ。

パキスタン人はもっと視野を広く遠くもって自国の進むべき道を考察しなきゃだめだ。このままではいつまでたっても貧しく、他の国に利用されるだけの国ということになってしまう。

Christmas Idol

以前のエントリーでお話していながら、顛末を記していなかったので、念のため。

12月第1週に当地Foreign Correspondets' Clubで行われたオフィスのクリスマス・パーティー。各グループの代表による「タレント・ショー」の余興に出演してまいりました。

本当は各グループのなかで5番目の出番のはずだったLegal & Compliance代表の私とジョン君。

「私たちのボスが『一番最初はだめ』っていうので...お願い...代わってくださるかしら...」

と営業部隊のお姉さんに頭下げられて、あっさり、

「あぁ...いいですよ...」

と言ってしまった。

ジョン君、

「ボス~...なにデレ~ッとしてんですか...。本当に大丈夫なんですか、先頭で...。」

「う、うるさいなぁ~...オレに任しとけ...。」

てな具合で本番へ。全員着席のディナーが一段落し、お酒も回ってきた良い按配のころ。

われわれの出し物はジョンと私がケアしているアジア・太平洋州のそれぞれの国から代表的な歌を1曲づつ選んできて、そのサビを歌うという趣向。それぞれの曲のサビ部分をつなげたトラックを我がマックで作っておいた次第は以前お話したとおり。

まずは香港。曲は以前ご紹介の「獅子山下」。私が出だしを歌い、ジョンがそれを受け、サビを合唱。私の広東語の歌唱力に拍手が沸き起こる。エッヘン、プイ! ジョン相手にかなり練習したのだ。

ついで中国。世界的に有名な代表的中国歌謡曲というのが思いつかなかったので、ストレート直球勝負で中華人民共和国国家、「義勇軍行進曲」。五黄星旗もって紅衛兵よろしく部隊を行進。

つづいてシンガポール。さすがに何も思いつかなかったので、ジョンが口にしていたガム(シンガポールでは発売禁止)を吐き出す...手はずだったのが、ジョン...

「...いけね、わすれちゃった...」

...使えねぇなぁ...。

次にオーストラリア。こちらはカンタス航空のコマーシャルでおなじみ(らしい)、「I Still Call Australia Home」という曲のさわりを私のソロで。こんな感じの曲です。


続いて、おとなりのニュージーランド。オーストラリアで綺麗な曲を使ったので、こちらもマオリのラブソング「ポ・カレカレ・アナ」でもやろうと思ったのだが、やはりコントラストを考えて、ミュージック・トラックに約15秒のギャップをいれ、その間私がステージ中央でニュージーランド・ラグビーのハカをソロで熱演。

次は赤道をひとっとびして韓国へ。ここはジョン君がソロで韓国のRain(ピ)の真似(つもり)でステージを踊りまくるという...はずだったのだが、なんかジョン君、なれないステージでの緊張と興奮の限界だったらしい。突然なにを考えたのかニューヨークから出張中だった審査員役の本社役員の前に躍り出て、どちらかといえばRainというよりパパイア鈴木という感じで腰をフリフリしながら必死のアピールをはじめた。

そんな過呼吸寸前のジョンをなだめすかしてステージ中央に引きずり戻し、台湾へ。ここはお約束のテレサ・テン(鄧麗君)の「月亮代表我的心」の一番を合唱。

オーラス。日本。香港人中心の観衆に事前調査をしていたのだが、やはり音楽的にはこれが一番インパクトがあるということで、「東京ラブストーリー」から「ラブ・ストーリーは突然に」の出だしをボリューム大きめに流し、鈴木保奈美の写真(当時)をプリントアウトしたヤツをお面にしてかぶった私と、織田裕二のお面をかぶったジョンがステージ中央で抱き合う...。

それにしても「ラブストーリー」以来、日本の文化には見るべきものが無い、何も発信してきていない、ということなのだろうか。まぁ「ラブ・ジェネレーション」だとか「ロング・バケーション」だのというサジェスチョンもあったのだが、それも古いよな...。 (しかし、じつのところ1989年から11年間日本を留守にしていた私はここら辺の時代の日本文化をリアルタイムで経験していないのだ。)

最期はワムの「ラスト・クリスマス」をBGMに拍手、お辞儀、退場。

結果としては(手前味噌で恐縮だが)、大ウケ。いや、バカウケしてしまった。その他のグループが無難に「クリスマス・キャロルの合唱」だとか「いつもお客さんの前でやっているプレゼンのパロディー」なんてのをやっているなかで、ここまでバカに徹した我々の潔さがうけたらしい。

もっとも最優秀賞は「営業グループ」がもっていった。ジョンは「八百長だ!」などといってプリプリしていたが、私は彼らの出し物を見ていないのでなんとも言えん。なぜならあの晩の私はステージを降りてすぐにオフィスに戻り、ニューヨークに電話しなければならなかったからなのでした。

翌日のオフィスでは、いままで言葉を交わしたことも無かった人々が口をそろえて、

「いやぁ、昨日のはよかったよ。」

かくして「クソマジメな日本人」という私の猫かぶりのかぶり物は永遠にぶち壊されたのでした。

Thursday, December 27, 2007

Jet Scream

♪遠い地平線が消えて、ふかぶかとした夜の闇に心を休める時、
はるか雲海の上を音もなく流れ去る気流は、たゆみない宇宙の営みを告げています...♪

...懐かしい城達也さんのナレーション。中学3年生で高校受験勉強に明け暮れていたころ、深夜12時に、このナレーションがラジオから流れてくると、

「おぉ...今晩もオレ、がんばっちゃったな...」

などと自己満足したものです。

...いまから考えると...イヤミでキザで可愛くねぇガキだねぇ...。

城さん亡きいまではスネークマンショーで城さんをパロってた伊武雅刀さんがナレーションしているらしい。

今月初め、香港-東京-シンガポール-香港、というスケジュールで出張があり、東京-シンガポールをJALで飛びました。

しっとりと...昔を偲びながら...ジェット・ストリーム...

などと思ったのですが、実際はJAL名人会で三遊亭圓歌師匠の「圓歌の道しるべ」を何度もリピートして聞きながら、周りの客の迷惑も省みず声を上げて大笑いしていました。

「わたしが『落語家になる』って言ったらわたしを家から追い出したうちの親がなぜかわたしの家に住み着いた...と思ったら、死んだカミさんの両親、今のカミさんの両親...家の中6人もジジィとババァだらけになっちゃった...みんな朝が早ぇんだ、これが。そして朝から家の外ウロウロ歩き回る。家の前の道でタクシーがバァさん引きそこねて、運ちゃんが『オイ!気をつけろい!車に引かれてぇのか!』と怒鳴ったら、うちのババァ、『なんだとぉ...昔は人が車を引いてたぞ!』...だって。」

♪満天の星をいただく、はてしない光の海をゆたかに流れゆく風に心を開けば、
きらめく星座の物語も聞こえてくる、夜の静寂の、なんと饒舌なことでしょうか。
光と影の境に消えていったはるかな地平線も瞼に浮かんでまいります。
日本航空があなたにお送りする音楽の定期便ジェットストリーム 皆様の夜間飛行のお供をするパイロットは私、城達也です...♪

Monday, December 24, 2007

Gift from the Wise Men


昨年、クリスマス・カード代わりにアル・ゴアの「不都合な真実」を送ってくれた、プライヴェイト・エクイティ・ファンド、テラ・フィルマ社のガイ・ハンズさん。


今年のプレゼントはガルブレイスの「The Great Crash of 1929」でした。


カスタム・メイドのページには「Northern Rock」と看板を掲げた家の煙突から現ナマを注ぎ込むサンタさんのイラスト。


相変わらずタイムリーな人だ。


Monday, December 03, 2007

千里走単猪 (外伝之一)

アヘイ君が、

「結婚していますか?」

と聞くので、

「しているよ。」

と答えたら、すぐさま

「子供は何人いますか?」

と聞いてきた。

「う~ん、娘が二人に息子が一人...」

と答えたら、

「フォーチュン、フォーチュン」

と言う。

こっちはすっかり、「フォーチュン」、つまりは「大金」と言っているのかと思って、

「たしかに金かかるなぁ...。」

とつぶやいたら、アヘイ君、

「ノー、ノー...フォチュネット、フォチュネット...」

と言っている。

どうやら

「あなたは結婚している上に、一人っ子政策が厳しい中国に比べて子だくさんで幸せ(fortunate フォーチュネイト)だね。」

と言いたかったらしい。

智恵子抄じゃないが...あどけない独身中国人男性の家庭願望の話である。

Sunday, December 02, 2007

選挙!
















旅行記の続編更新が滞っていますが、実はオフィスのクリスマス・パーティーでリーガル・コンプライアンス部を代表してパフォーマンスすることになってしまい、その準備に追われているのです。別に自らすすんで、

「やります」

と言ったわけではないのですが、知らない間に

「新人なんだから、みんなに顔覚えてもらういい機会でしょ...」

とご指名。

いままでオフィスではネコかぶっていましたが、こういうことには必要以上にはりきってしまう私。むりやり共演者(共犯者?)としてスカウトした部下のジョン君と一緒にアイディアを出し合い、リハーサルしています。(ガラス張りのオフィスのなかで振り付けしているオヤジ二人...。)

そんなこんなで、最近すっかり「愛」を感じてきたマイ・マックを使いながら、パフォーマンスのBGMのミキシングに励んでいる今日、日曜日...なのですが...昨日の7人制ラグビーで亜脱臼した左肩が痛い...腕があがらん。今週水曜日の本番...踊れなかったらどうしよう...などと37歳のオヤジが「北島マヤ」みたいなこと言ってもしょうがないのですが...。

個人的には、そんなアホな週末を過ごしておりますが、当地香港の世間さまは今日は大騒ぎです。といいますのも、今日は香港特別行政区の議会にあたる立法会の補欠選挙の投票日なのです。

議席は香港島選挙区。立候補者はたしか8名ぐらいいるのですが、本命と対抗がなかなか魅せる組み合わせなのです。

本命は(上記写真左)アンソン・チャン(陳方安生...「方」が本人の姓で「陳」は結婚相手の姓のようです...未確認)。最後のイギリス香港総督クリストファー・パッテンの下で女性として初めて官僚トップの布政司となり、返還後北京に任命された董行政長官と折り合いが悪く野に下った。香港における普通選挙の早期実施を求める民主派。

対抗は(上記写真右)レジーナ・イップ(葉劉淑儀...同上...多分)。董行政長官の下、公安担当の官僚トップとして公安関連法律の導入で民主派と対立。デモ騒ぎに発展したため2003年、失脚。その後海外留学を経て、今回政界へ打って出てきた。支持母体は北京よりの政党「民建聯」。普通選挙に関しては、時期をみて導入という立場を取る慎重派。

テレビでは公開討論会番組がにぎわい、各立候補者それぞれ街頭演説や「桃太郎」(街頭を旗立て練り歩き)をしている映像を流していた。

「いや〜、ついに中國民主主義の夜明けかね〜...」

と中国人の友人に言ったら、彼は

「いや、大多数の人は今まで雲の上の存在だった政府高官が、みんなに頭下げている姿を見て、珍しがって興奮しているだけだよ...」

とクールな回答。

ま、たしかにご両人とも昔だったら「科挙状元」の才女。そんな見方もできるのかもしれない。

しかし毎日2万人以上といわれる中國本土から香港訪問中の人たちは同じ情景をどうみているのだろう。

投票日前の支持率はアンソン僅差でリード。今晩いったいどうなることか...。