先日、知人が知らせてくれた香港在住の日本人ビジネス・サークルみたいな集まりに顔をだしてきた。
当日の趣旨は、日本からやってきたベンチャー・ビジネスマンのお話を聞くという集まりで、はっきり言って今の私にはあまり興味の無い内容。「スーパー仕事法」とか「お金を産むネットワーク構築法」みたいな話。
ひととおり「お話」が終わって、質疑応答になり、もう帰ろうかなと思っていたら、どこかのおじちゃんが質問に立った。
「日本人の良さってなんだと思われますか。」
みたいな質問。
あほか...と、思って聞いていた。
勤勉さだとか、まじめ、完璧主義...などなど...。
まだそんなこと言ってるのかよ。
日本人以外の民族は勤勉じゃないというのだろうか。マジメじゃないというのか。
「日本人の技術は中国人には真似できない」なんていっている手合いは「日本人は鳥目だから飛行機の操縦ができない」なっていっていた真珠湾以前のアホ・アメリカ人みたいなもんだ。
上の写真は知る人ぞ知る、フランツ・フォン・シーボルトの娘にして日本で初めての女医、楠本イネさん。(NHKのドラマでは宮沢りえが演じていたらしい...母の楠本滝はミセス・糸井こと樋口可南子女史。)
パパ・フランツが日本にやってきたのは1823年。花咲く化政文化のまっただなか。向学心旺盛な
高野長英だの
二宮敬作だのに弟子入りされ、江戸参府すれば
最上徳内だ、
高橋景保だと当時の一流人士が面会を求めにやってきた。「しぼると先生、しぼると先生」と下にもおかぬおもてなし。
鎖国政策のせいで科学技術は遅れていたものの、文化面では爛熟。江戸は人口だけで言えば世界レベルの大都市だったし、庶民でさえも弥次喜多よろしく旅行に出かけ見聞を広めていた。シーボルトは刀剣、浮世絵などをどん欲に蒐集した。
最後の最後の
シーボルト事件でミソをつけたとはいえ、シーボルト目に日本はそれこそアジアの楽園と移った。(まぁ特に清朝末期のおとなりさんに比べればそうも思えるわな。)
その経験をもとに、1828年にヨーロッパに帰ったのち「日本」を発行。
このシーボルトから資料提供を受け日本にやってきたのがアメリカ東インド艦隊のペリー提督。
1853年。
日本...豹変...。
30年もしないうちに、日本は「そんのーじょーいっ!」「天誅!」「ちぇすとー!」と、外国人にとってはめちゃくちゃおっかな〜い、シーボルト先生が知っていた日本とは似ても似つかぬ国になっていた。
北斎なんかの春画でアヘアへ喜んでいた日本人が、とつぜん「ヤンキー・ゴー・ホーム」のテロリスト集団になっちまったんだから外人さんたちもびっくらこいただろう。
別に例を幕末にとらなくてもいい。8月15日までは「ウチテシヤマム」「一億火の玉」だった日本人が、年末までには「ギブミーチョコレーッ!」になり、最後には「マッカーサー元帥ありがとう」になっちゃったのはついこの間だよ。
こうした千変万化の過去が身近にありながら、万古不変の日本人の特性があるなんて信じている日本人というのは...いったいなんなんだらう。
日本人の不変の特性とは、状況によって変わりやすいということではないか。
それはとりもなおさず、どこの人間にも共通の特性だ。
「地を易うれば皆然り」ということだ。
だから「日本人固有の気質」の本質とは、個々の「日本人」の心の中の日本人であるという自覚でしかない。
だから今現在の国際社会における「日本人の良さ」とは我々今現在の「日本人」が世界の人様からどう思われたいかということにかかっているといえる。
オマケ...イネさまもハーフ美人ではあるが、幕末・明治の超美人と言えばこの人...
陸奥宗光夫人の亮子さん。
日本人にしてこのアングルで美人に見えるというのはもはや奇跡...ではなかろうか。
家内はこっちが贔屓だが...
川上貞奴さん。