先週、セガレの就寝前の「読み聞かせ」にセガレが学校の図書室で借りてきた「家なき子」の絵本を読まされたのだが、その巻末にあったオトナ向けの解説を読んで、長年の謎が氷解。
「家なき子」。原題は「Sans Famille」。直訳すれば「家族なし」...か。「家なき子」は、なかなか名訳ではなかろうか。
なぜ「家なき子」の主人公、レミは旅を続けなければならなかったのか。タネを明かせば「な〜んだ」なことなのですが、絵本の解説で分かったのは原作者のエクトール・アンリ・マロさんは小説家であるとともに旅行記作家でもあったのでした。
「家なき子」が発表されたのは1878年。(この年の5月には東京証券取引所が開設された。)このタイミングは、おりしも産業革命の成熟と、植民地帝国主義の興隆により、第一次グローバリゼーションが出現した時期にあたる。文学もこの時代の息吹を反映しており、ヴェルヌが「80日間世界一周」を発表したのは、この5年前の1873年。つまりこの時代の読者は「80日間」のフィリアス・フォッグや、「家なき子」のレミの視点を通じて、まだ見ぬ世界の物見遊山を楽しんでいたわけだ。一般庶民としては「80日間」の世界一周にはちょっと手が届かないが、レミのフランス国内一周旅行(ついでにロンドンとイングランド南部、そしてスイスのセレブな避暑地)ぐらいなら、ベル・エポック期のブルジョワ層には十分射程範囲内。「家なき子」はそんな人たちのための「兼高かおる世界の旅」(オレも古いなぁ...)だったわけだ。
19世紀のヨーロッパ文学にはこうした教科書では教えてくれない「時代の事情」があって現代の読者を惑わせる。「家なき子」のような「古典小説、兼『るるぶ』」にはメルヴィルの「白鯨」がある。デュマの「三銃士」や「モンテ・クリスト伯」のそれぞれの章がいつも「かくして風前の灯の主人公の命運は、いかに...」と中途半端に終わるのは新聞連載だったからだ。ディッケンズの小説の文体が回りくどく饒舌なのは、原稿料をワード数で支払ってもらっていたからだ。「二都物語」の出だし、
「それはすべての時世の中で最もよい時世でもあれば、すべての時世の中で最も悪い時世でもあった。叡智の時代でもあれば、痴愚の時代でもあった...」
これは別に「ヴィクトリア朝時代の英文学の精華」でもなんでもなく、ただ単に売れっ子作家のディッケンズさんが、連載第一回分の原稿料を、肝心のストーリーとあまり関係ない時代背景のタワゴトの羅列でまんまともっていってしまったのだ。
おなじくワード数で原稿料を支払われていたアメリカの売れっ子作家、マーク・トゥエインは、1単語あたり1ドルの原稿料をもらっていたらしい。当時の1ドルですから、なかなかのお値段です。これを聞いたイタズラ者が、1ドル紙幣を封筒に入れたのをマーク・トゥエインさんに送ったところ、マーク・トウェインさんからお返事が来た。お返事にはただ一言、
「Thanks」
だった、という笑い話。
まぁ本を読むときには、「古典」というお題目にだまされちゃいけないよ、というのが教訓ですね。