第三弾。
「日本は没落する」榊原英資 2007年 朝日新聞社
それは、それは、読むごとにひっかかる、癪にさわる、いらだってくる本でございました。
おっしゃっていらっしゃることは至極まっとうなんですが、やはりお人柄でしょうかね。
以前読んだ森繁さんの本なんて猥談ばっかりでもそれなりに読めちゃったんですが(別に他人様のエッチな話なんて、聞くのも読むのもとりたてて面白いもんじゃありません)、この頭ごなしに「これじゃダメだ」といってくるエリートの嫌味臭がプンプンしていて、辟易としました。(この「イヤミ」に関する昔のエントリーは
コチラ。)
まぁ、人に言われなくても、これはとりもなおさず私の人格の卑小であるがゆえだということは自覚していますので、ガマンにガマンを重ねて読みすすんんでいきました。
これからの世界で重要なのは「技術」「知識」「情報」であるというご高説はしごくごもっともなのですが、これらを下支えするものが「教育」である、という部分には首をひねりました。
著者がいう「教育」とは日本の教育なんでしょうか。それこそ著者に代表されるような東大、キャリア官僚をトップとする社会ヒエラルキーの礎。価値観の単一化に貢献する受験社会。今の日本の閉塞感に大いに貢献している「教育」でいいんでしょうか。世界で全く通用しない日本の有名大学にいかせるための勉強に血道をあげる必要があるのかどうなのか...実際に日本のシステムの小学校を始めたばかりのセガレを抱えて悩んでいる私はますます考え込んじゃいました。
将来世界はグローバル化が進むにつれどんどん「情報発信」の多様化も進むと思います。そういう状況で、鎖国状態の日本教育界は今のままじゃどんどん使い物にならなくなるでしょう。アメリカの一流、とはいわないまでもそこそこ名の知れた大学にいけば、世界中からやってきた逸材とお友達になれますが、日本の大学に行くと「ボク、将来、検事総長になるんだ」なんておっかないことを言う薄気味悪いガキに出くわすのが関の山。
あと、この本を読んでいじわるくも思いついたのは、この著者の方、竹中平蔵になりたかったんだろうな...ということ。「乃公出ずんば」の気持ちが行間にみなぎっています。まぁ、そりの合わない小泉さんの下ではとてもとても働けなかったでしょうが、竹中さんが敢えて火中の栗を拾って男をあげたことがよっぽど悔しいと見えます。なんか
小沢さんと仲良くしていらっしゃるようですから、時局を得ることがあればぜひ頑張ってほしいものです。
もっとも何となくこのお方、松平定信とか水野忠邦とかを連想させるんですよね。今から歴史を振むきみれば「反動派」とみなされるこれらの人々も、登場した当時においては「改革派」だったんですな。
「読者とは蚤のようなものだ」と喝破した山本夏彦のダイジェスト版みたいな本を自分の名前で出しちゃった嶋中さん。蚤が他人様から吸い取った血を売って歩いているようなものです。確信犯なのだとしたら、かなり自暴自棄です。
だいたい夏彦のようなニヒリストがうける理由は、ニヒリストがダメ人間な自分自身に絶望しているところがユーモアになっているからなんです(参考人:夏彦の弟子と自称する安部譲二氏)。肝心かなめのそこんところを分きまえないで、ニヒリストの発言の孫引きみたいなことを口にし、借りものの他人様の考えを披露して、さも自分が頭がいい人間であるかのように偉ぶっているジジィなぞ野暮も大野暮。決して見好いものではありません。
私自身、夏彦さん嫌いじゃありませんが、決して共鳴するなんてことはありません。
まぁ若いもんが読む本じゃねぇな。
夏彦氏に関してひとこと苦言を呈したいのは、彼の文語文礼賛。
イギリス留学中、日本語の活字に飢えていた私は毎月の文藝春秋を隅から隅まで読んでいたことがあったのですが、そのころ夏彦さんが「文語文」という題で文藝春秋に文章を書いていました。
曰く、文語文は格調が高い。それに引きかえ現代語文は軽薄。あぁ〜昔は良かった...という、いつものパターン。
しかしここですっかり抜けているのは、日本の教育が明治・大正期の中途で大変革していることなのです。
明治以前、学問といえば四書五経。漢文の素読。つまり中国語の訓読を年がら年中やっていた訳です。
それが明治このかたの言文一致政策のおかげでみんな漢文が読めなくなっちゃった。
(「脱亜入欧」ってやつですな。)
あまり大きな声で言われてませんが、日本の教育史にはここに大きな断裂があるわけです。
だから維新の志士がみんな読んでいたといわれる頼山陽の「日本外史」なんかも、明治の後期には誰も読めなくなっちゃってた。
そんなこんなでできたスキに、いわゆる「皇国史観」というものがつけいったというわけです。
以前、高島俊男さんの本を紹介したところでも書きましたが、大正の世に幸田露伴が漢籍を訓読表記しただけの「運命」を発表したころには、漢文の素養のある人などいなくなっており、当時の「知識人」といわれる人々が、「その拡張高き文体」を褒めそやしたというお粗末な次第だったわけです。
脱線しますが、こうした日本の教育の断絶に胸を痛めたからこそ、海音寺潮五郎さん(自身漢文の先生)はあえて史伝文学という分野の開拓を自らの使命としていたわけです。(以前の海音寺エントリーは
コチラ)
まぁ、そんなこんなわけで、唐物の文章を読み下すために考案された借りものの文体を「格調高い」などといって、返す刀で「現代文は軽薄」なんて切り捨てるのは、夏彦氏、思慮が浅いといいたい。日本語はまだまだ発展途上なのですから。