興味ない人には、全然興味の湧かない話だとおもいますが...。
今年の夏を過ごしたガスコーニュ地方は三銃士のダルタニャンや、シラノ・ド・ベルジュラックで有名なお国柄。このご両人に代表されるように、ガスコン人とくれば喧嘩早く、勇敢で、侠気にあふれる好漢と相場が決まってる。
なんでやろ?
今回現地に行ってみて気がついたのは、このガロンヌ川流域の肥沃な地方が中世ヨーロッパでたびたび戦場となっていたこと。
英仏の百年戦争(14・15世紀)の原因の一つは、この地方を含むアキテーヌの領主権を持っていたエレノアちゃんがフランス王ルイ7世を袖にして、後にイギリス王ヘンリー2世となるアンリ君に土地付きで再婚しちゃったことにある。おかげでこの地方は百年戦争中、英軍側の重要拠点であり続けた。
百年戦争最後の戦い、カスティヨンの戦い(1453年)は今回泊まったワイナリー、シャトー・ピトレーのすぐそばのカスティヨンの町が舞台だった。(その戦いの再演イベントをやっていた。)
百年戦争のあとはカトリック勢力と新教勢力の争い(ユグノー戦争:16世紀後半)がくりひろげられる。
そんなこんなの殺伐とした歴史を背景に、この地方では「バスティード」と呼ばれる城塞都市が生まれ、この地で生を受けた男の子たちには「この孤剣の他、なにをか頼むべき...」な戦士としての価値観と行動規律が遺伝子として組み込まれていったのだろう。
海音寺潮五郎が、坂東武士の発生を開拓民である地方豪族同士の土地に絡んだ争いや、異民族である原住民・蝦夷との戦いにあけくれた生活に求め、「あたかも後世アメリカの西部劇にも似た」社会情勢を指摘したのと同じように、中世から近世にうつる段階でフランスにも似たような社会環境が発生していたのですな。
いまではガスコン魂の発揮の場は、この地方がメッカであるフランス・ラグビーにその舞台をゆずっています。
バスティードの町の朝市の風景はこちらからどうぞ。
下はカスティヨンの近郊、ボルドー・ワインで有名な、サンテミヨンの町の夕暮れ。
ドルドーニュ川沿いに立つCastelnaud-la-Chapelle城。
お城の城壁からドルドーニュ川を臨む。
ドルドーニュ川を渡河する敵勢を発見!
なりきってるセガレ。
まぁ世界中、どこも観光地にあるもんは似たり寄ったりですな。
かくして旅は続いたのであった...(これはSarlat-la-Canedaの町)。
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2 years ago
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