Thursday, January 31, 2008

Coke... Is It?

我が家の人間がコカ・コーラの宣伝に出演...

さて誰でしょう...

答えはコチラ

Wednesday, January 30, 2008

#@%~!

みなさんご存知のように、英語で「swear words」とは品の悪い言葉のことをさします。

英語のそれと、日本語のそれでは、質・性質・成り立ち等々、かなり色合いを異にしている領域であります。

キリスト教の性のタブーによるものかどうかは定かではありませんが、英語の「悪い言葉づかい」には性的表現が多く(「F」で始まるやつとか「C」で始まるやつとか...)、日本人からみればかなりどぎつく、時おりTPOや因果関係が「」なものが多いです。

その点、日本語の「バカヤロー」とか「アホー」なんて、英語と比較してかなり迫力にかけるのではないでしょうか。

英語生活が長い私は、普段の生活で英語の「swear word」を口にすることが多く(特に仕事中)、5歳の息子を持つ身としては普段から言葉遣いを気をつけなければなりません。

幸いセガレのボキャブラリーはまだそんなに汚染されていませんが、日英中チャンポンの彼は時おりヘンな言葉遣いをします。

そんな彼のせいいっぱいの捨てゼリフは...

「キス・マイ・ちんちん」

...どこで覚えてきたのか...それとも自作なのか...

もちろんこれを口にするたびに厳しく叱っておりますが、少々のことではめげない彼は同じパターンで笑いをとろうとします。

「キス・マイ・バンバン」

「バンバン」とはどうやら「bum bum」のことで、ようするに「bum」=「おケツ」のことを指しているようです。

そんなセガレが最近の香港らしからぬ寒空の下、ビーチを散歩中に一言...

「寒いから、ちんちんがバンバンの方にに入っちゃった...」

...その言語感覚をもっと別の形で発揮してもらえないものだろうか...。

Sunday, January 20, 2008

Cool Japan

うちのセガレを静かにさせる方法として、最近iPodが有効であることが判明。

セガレのお気に入りは「Discovery Channel」のサバイバル・シリーズと「ルパン三世」。

君...なかなかいい趣味してますね。

二人でiPodみながら、セガレがルパンで私が次元をやっています。

私:「どっちにつく」

セガレ:「オンナ~」

私:「だろうな」

なんてやりあっている親子。かなりオタクです。

そんなセガレのお気に入りYouTube映像は、ルパンとカウボーイ・ビバップのパロディー。

こちらです。



ビバップの音楽担当の菅野よう子さん...ムチャクチャいいセンスしていますな。つい最近まで知らなんだ。メモっとこう。

Thursday, January 17, 2008

Flesh Business

昨年末、前職の縁で知り合った不動産リッチな初老の日本人男性お二方が香港にいらっしゃり、会食した。

最近ではやはりアジアに注目されているというが、お二方とももうガツガツした仕事はせず、悠々自適なライフスタイルを楽しんでおられるようだ。

それでもやはり資産家でおられるので、投資視察旅行とかで、誘われるままにアジア諸国をいろいろ歩き回っておられるらしい。

香港とシンガポールの比較とか、海外での子供の教育とか、いろいろと話が弾んだのだが、その中で世界各国のセックス・ビジネス、ようするに日本で言うところの「風俗産業」(これもわけのわからない言葉だ)の違いということに話がいった。

結論から言えば、世界の風俗ビジネスは「中国式」と「アメリカ式」に大別されるのではないかという話。

以前の雲南旅行のエントリーでも話したが、「中国式」はずばり人海戦術。 ホステス嬢がダース単位でやってきて、

「お客さん...お気に入りはどちらで?」

となる。

一方、「アメリカ式」はたとえフィクションであるとしても、あくまで男と女の「出会い」を演出しなければならない。だから店の形式はたいていバー。店に入ると、どこからともなく女性がにじり寄ってきて、

「こちらお一人かしら...」

となる。

まぁ、中国式は「お大尽遊び」ですね。中国男子たるもの、やはり普段の生活では満たされない皇帝願望があるのでしょうか。

アメリカ式は、やはりキリスト教倫理が邪魔をしていて、「男と女」の出会いにはなんらかの「ロマンスの奇跡」がなければならないという強迫観念があるのでしょうか。

面白いのは、東南アジアにおけるこの「中国式」と「アメリカ式」の分布状況。香港やタイやフィリピンなど、アメリカ兵の洗礼を受けている場所や、西側からの海外旅行者が多い場所では「アメリカ式」が大勢を占めていて、台湾など中華文化圏ではやはり「中国式」。興味深いのはヴェトナムで、ここでは「中国式」と「アメリカ式」が同居しているらしい。ハノイの某ホテルでは最上階が「中国式」カラオケ・クラブで、地下が「アメリカ式」バーだったとか。

そんなお話を伺いながら、

「オレが万が一金持ちになったらどんなお金の使い方をしたいかな~」

などと考えておりました。

Sunday, January 13, 2008

御参り

あまり「信仰」というような、大げさな話ではないのですが...

東京出張の度に可能な限りお参りしているのが、ここです。

ごぞんじ、平将門の首塚。

幸い大手町のビジネス街のまっただ中なので、ミーティングの間の空き時間で、参拝可能。

京都で獄門にさらされた将門の首が坂東に飛んで戻ってきたという伝説が背景になっているので、近辺のオフィスで働くビジネスマンの皆様も、海外出張からの無事帰国を祈願されるとか。

私もいつも、

「おかげさまで今回も無事に帰って参りました」

と将門様にご報告しているわけです。


まぁ、首だけになって帰国...ってのは勘弁してもらいたいですが。

去年の12月にとんぼ返り帰国した際にも、ホテルから早朝ジョギングがてらお参りしてきました。朝も早よから神田明神の氏子さんとお見受けするおばさんが清掃されていました。師走のまだ薄暗い寒空の下、頭が下がります。



海音寺潮五郎さんの「平将門」。愛読書の一つです。もう多分5回ぐらい読み返しています。これを読むと、「将門」というよりは「小次郎」と呼びたくなります。

この海音寺作品をドラマ化したのが、1976年の大河ドラマ「風と雲と虹と」。将門役は加藤剛さんでした。

京女の吉永小百合にふられた加藤剛さんが男泣きに泣いて、泥まみれになりながら、

「そうだ...坂東に帰ろう...」

というシーンはなかなか泣かせました。まぁ、吉永小百合ごときにそこまで取り乱すか...というツッコミもありだとは思いますが、あの当時の主たる大河視聴者であった団塊世代にとって、吉永小百合は絶対的存在だったということでしょうか。

この首塚に立てられている保存会による由来書きはなかなかの名文で、しかも達筆な手書きで読ませます。

将門首塚の由来

今を去ること1500有余年の昔、鎮守府将軍・平良将(よしまさ)の子将門(まさかど)は、下総の国に兵を起こしたちまちにして関東8カ国を平定、自ら平親王(たいらのしんのう)と称して政治に革新を図ったが、平定盛と藤原秀郷(ひでさと。俵籐太たわらのとうた)の奇襲を受け、馬上刃刀に戦って憤死した。享年38才であった。世にこれを「天慶の乱」という。ちなみに憤死の地は茨城県岩井市の神田山(からだやま又はかんだやま)で首なしの墓がある。

将門の首級は京都に送られ獄門にかけられたが、三日後、将門岩、に別れを惜しみ、白光を放ちながら東方に飛び去ったという。そして、将門の首級は武蔵国豊島郡芝崎に落ちた。大地は鳴動し、太陽も光を失って、暗夜のようになったという。村人は恐怖して塚を築いて埋葬した。これすなわちこの場所であり、将門の首塚と語り継がれている。

その後もたびたび将門の怨霊が災いをなすため、徳治2年(1307)、真教上人(しんぎょうしょうにん。空也上人の二番弟子。ちなみに一番弟子は一遍上人である。)は、将門に「蓮阿弥陀仏」という法号を追贈(ついそう)し、塚の前に秩父産板石の塔婆(とうば)を建てて日輪寺に供養し、さらに傍らの神社ににその霊を合わせ祭った。その神社が神田明神と呼ばれるようになったのはそのときからである。ようやく将門の霊魂も鎮まり、この地の守護神になったという。

神田明神と日輪寺は現在の地に移っているが、首塚は古墳であるため移転は遠慮され昔の地にそのまま残って現在に至っている。したがって、将門塚の礎石の上にある石灯篭は当時のものである。板石塔婆も付近の火災で損傷するたびに修復されて現在にその面影を伝えている。

なお、将門が京都で獄門にかけられたその地においては、のちほど、空也が将門の霊を手厚く供養したという。「空也供養の道場(現在は京都市下京区西洞院四条下がるに小さな祠が残っており、地元では訛って膏薬道場といっている。)」である。

「天慶の乱」の頃は、平安朝の中期に当たり、藤原氏が政権をほしいままにしてわが世の春を謳歌していたが、遠い坂東でも、国々の司が私欲に汲々として善政を忘れ、下僚は収奪に民の膏血を絞り、加えて洪水や干ばつが相続き、人民は食なく、衣なく、その窮状は言語に絶するものがあった。そのため、これらの力の弱い多くの人々が将門に寄せた期待と同情とは極めて大きなものがあったので、今以て関東地方には数多くの伝説と将門を祭る神社がある。このことは将門が歴史上朝敵と呼ばれながら、実は、郷土の勇士であったことを証明しているものである。

また、「天慶の乱」は武士の台頭の烽火であるとともに、弱きを助け悪を挫く江戸っ子の気風となってその影響するところは社会的にも極めて大きい。

上海は東京になっちまうのだろうか

先日、カナダ国籍の中國人の友人と話をしていて、上海の将来に話題がいった。

「やっぱり10年後は上海かな?」

「いや、まだまだ香港だろう...」

確かに上海は巨大な中國市場を背景にその重要性は今後もどんどんと増していくだろうが、その国内市場があまりに巨大な為に、真の意味で「国際市場」にはなれないだろう、というのが彼の意見。

つまり上海も今の東京のようになっちまうということだ。

大きいけれど、ローカル。

融通が利かなくて、地元勢を依怙贔屓する当局。(そして天下り)

イノヴェーションよりレギュレーション。

もっとも東京みたいに「市場参加資本の過半数が外国勢」なんていう、歪んだ国際化はだれも望んでいないだろうけれど。

中國人に日本人のような「株アレルギー」はまだ見受けられないから、その危険性はないか。

「でも香港が上海みたいになっちゃったらどうする?」

「...」

2008: Way To Go!

皆様よい新年をお迎えになられたでしょうか。遅ればせながらのご挨拶で恐縮ですが、今年もよろしくお願いいたします。

一昨年の年末は台湾沖地震による海底ケーブルの断裂でネットがやられ、しっちゃかめっちゃかでしたが、去年・今年の年末年始は仕事そのものに追われておりました。

いまでも追われています。

どうやらこれからの世界的景気の後退を予測して、投資家の皆さんが全世界規模で資産運用の内容の組み直しを行っているらしく、おかげさまで忙しくさせてもらっています。

同時に私の守備範囲であるアジアにおいて、年金などの社会保障基金を含む公的資金が市場への出口を求めて蠢動していることも、この「クソ」忙しさを増長しています。

そんなわけで、年末年始から今現在に至るまで、私のデスクは右に中國、左に韓国、後ろにシンガポールてな具合で、それが順繰り目の前にやってくる按配です。同時に日本とオーストラリアとニュージーランドが頻繁にちゃちゃ入れてきます。

こうした仕事に香港人、中国人、韓国人...とアジア・環太平洋の各地からやってきている同僚と一緒に仕事をしていて、思ったこと...

「オレ、もう『日本人』はやめだね」

ということです。

別に祖国を捨てたわけではありませんので、早とちりしないでください。

私の考えは次のような次第です。

20代で英国の珍しい資格を手にして以来、どうも私はその「資格」に対する同胞の評価を飯のタネにしてきたというのが真相です。

いくら「国際派」をきどってみたところで、これじゃ「日本」を巡る衛星みたいなもんで、せいぜい長崎の出島ぐらいな「なんちゃって国際派」。

やはり真の「国際派」を目指すのであれば、「イチロー」、「Dice-K」、「ゴジラ」のように世界の舞台で結果を残さなきゃだめなわけです。

どうもここまで自分の考えと行動が至るまでにエライ時間を費やしてしまいました。自分のアホな虚栄心がじゃましていたのでしょう。反省。

19歳で留学を決意した時、いつまでも「日本」に寄生するような生き方を選んだわけではない。

そこで今年のテーマは、

「『日本人』をやめて『日本代表』を目指す」

これでいきたいと思います。

とはいえ、給金取りの身で「修行、修行」などとうそぶいていられるのも長くてあと3年。不惑を越しても目が開かず、結果も残せないようじゃ

「ダメダこりゃ」

なわけですので、適度に焦りつつがんばりたいと思います。

景気は悪くなりそうですが、いい年にしましょう!

オマケ
去年の終わりにとんぼ返りで東京出張にいったときに、神田のミズノ旗艦店で買った携帯ストラップを鞄につけてみました。

Monday, December 31, 2007

It All Happened In 2007

2007年のハイライト

Saturday, December 29, 2007

Family Movie

わが家の奥方の誕生日。この作品が息子からのプレゼントだったらしい。

Friday, December 28, 2007

Blowback

パキスタンのブット元首相暗殺事件。自分で考えてみて、多分こんなんところじゃないかというあたりを書いておく。自分の見方が100%当たっているとは思わないが、とりあえず仮説を立ててみて、今後の時局の発展の中で自分の見方を検証していく出発点とするわけだ。

いくら民主的に選ばれたとはいっても、反アメリカ感情の民衆におもねるポピュリスト(要するに日和見主義)のリーダー、シャリフにがまんできなくなったアメリカが、軍のトップ、ムシャラフのクーデターを容認したのが199910月。それまで反米・親ソというスタンスだったおとなりのインドに対抗させる意味でアメリカはパキスタンに肩入れしてきていたわけで、そのみかえり(?)にパキスタンの不良・腐敗政治家連中をがまんしていたのだが、ソ連の崩壊とインドのアメリカへの歩み寄りの結果、そんな必要もなくなってきたわけだ。

2001年の9.11以降もムシャラフはイスラム過激派を弾劾し、ブッシュ大統領の覚えもめでたかった。

しかしブッシュとしてはどうしても任期が終わる前に、パキスタン・アフガン国境地域に潜伏しているらしいオサマ・ビン・ラディンを捕まえたいところ。一方ムシャラフとしては自分の脆弱な支持基盤をアメリカの手先としてちょこまかして、イスラム過激派を刺激、人心離反ということでむやみに犠牲にしたくはない。

あせるブッシュ政権。

しかしせっかく穏健派のムシャラフをトップに据えたのに、そのムシャラフにプレッシャーをかけることで得するのがイスラム過激派じゃ、パレスティナをハマス政権にのっとられた失敗の二の舞だ。

そこでムシャラフへの牽制・対抗馬として、まちがってもイスラム過激派の旗手などになりそうも無い、ブットを送り込む。

ところがブットのカムバックのどさくさにまぎれて1999年以来亡命していたシャリフまで戻ってきてしまい、パキスタンは政情不安の下降スパイラル。しかも来年早々には総選挙が控えている。選挙の結果で政局混沌...なんてことになってしまったら、とてもじゃないがオサマ捕縛...なんておぼつかない事態だ。

ここにいたってブットを捨て駒にし、暗殺の黒幕としてのイスラム過激派への憎悪で国民感情を統一させるという青写真を誰かが書いたとしても不思議じゃないような気がするのだが、どうだろう。

実際に引き金を引いたのがイスラム過激派だとしても、こんな絵を描いた人間は違うところにいる気がする。

タイトルにした「Blowback」とはCIAの隠語で、秘密作戦の影響で不測の結果が生じることをいう。たとえばアフガン戦争における対ソ連ゲリラ支援がアルカイダを産んだような事態だ。

この言葉が初めて使われたのはパキスタンのおとなり、イラン。1950年代。民主的に選ばれた首相モサデックのイラン石油産業の国有化運動に対抗して、パーレビ国王を担いだCIA主導のクーデターを起こしたのだが、結果としてこれがホメイニ師のグループによる反米イスラム原理主義クーデターの遠因となってしまった。

ここらへんに興味がおありの方はドキュメンタリー映画「Why We Fight」(2005)をどうぞ。

パキスタン人はもっと視野を広く遠くもって自国の進むべき道を考察しなきゃだめだ。このままではいつまでたっても貧しく、他の国に利用されるだけの国ということになってしまう。

Christmas Idol

以前のエントリーでお話していながら、顛末を記していなかったので、念のため。

12月第1週に当地Foreign Correspondets' Clubで行われたオフィスのクリスマス・パーティー。各グループの代表による「タレント・ショー」の余興に出演してまいりました。

本当は各グループのなかで5番目の出番のはずだったLegal & Compliance代表の私とジョン君。

「私たちのボスが『一番最初はだめ』っていうので...お願い...代わってくださるかしら...」

と営業部隊のお姉さんに頭下げられて、あっさり、

「あぁ...いいですよ...」

と言ってしまった。

ジョン君、

「ボス~...なにデレ~ッとしてんですか...。本当に大丈夫なんですか、先頭で...。」

「う、うるさいなぁ~...オレに任しとけ...。」

てな具合で本番へ。全員着席のディナーが一段落し、お酒も回ってきた良い按配のころ。

われわれの出し物はジョンと私がケアしているアジア・太平洋州のそれぞれの国から代表的な歌を1曲づつ選んできて、そのサビを歌うという趣向。それぞれの曲のサビ部分をつなげたトラックを我がマックで作っておいた次第は以前お話したとおり。

まずは香港。曲は以前ご紹介の「獅子山下」。私が出だしを歌い、ジョンがそれを受け、サビを合唱。私の広東語の歌唱力に拍手が沸き起こる。エッヘン、プイ! ジョン相手にかなり練習したのだ。

ついで中国。世界的に有名な代表的中国歌謡曲というのが思いつかなかったので、ストレート直球勝負で中華人民共和国国家、「義勇軍行進曲」。五黄星旗もって紅衛兵よろしく部隊を行進。

つづいてシンガポール。さすがに何も思いつかなかったので、ジョンが口にしていたガム(シンガポールでは発売禁止)を吐き出す...手はずだったのが、ジョン...

「...いけね、わすれちゃった...」

...使えねぇなぁ...。

次にオーストラリア。こちらはカンタス航空のコマーシャルでおなじみ(らしい)、「I Still Call Australia Home」という曲のさわりを私のソロで。こんな感じの曲です。


続いて、おとなりのニュージーランド。オーストラリアで綺麗な曲を使ったので、こちらもマオリのラブソング「ポ・カレカレ・アナ」でもやろうと思ったのだが、やはりコントラストを考えて、ミュージック・トラックに約15秒のギャップをいれ、その間私がステージ中央でニュージーランド・ラグビーのハカをソロで熱演。

次は赤道をひとっとびして韓国へ。ここはジョン君がソロで韓国のRain(ピ)の真似(つもり)でステージを踊りまくるという...はずだったのだが、なんかジョン君、なれないステージでの緊張と興奮の限界だったらしい。突然なにを考えたのかニューヨークから出張中だった審査員役の本社役員の前に躍り出て、どちらかといえばRainというよりパパイア鈴木という感じで腰をフリフリしながら必死のアピールをはじめた。

そんな過呼吸寸前のジョンをなだめすかしてステージ中央に引きずり戻し、台湾へ。ここはお約束のテレサ・テン(鄧麗君)の「月亮代表我的心」の一番を合唱。

オーラス。日本。香港人中心の観衆に事前調査をしていたのだが、やはり音楽的にはこれが一番インパクトがあるということで、「東京ラブストーリー」から「ラブ・ストーリーは突然に」の出だしをボリューム大きめに流し、鈴木保奈美の写真(当時)をプリントアウトしたヤツをお面にしてかぶった私と、織田裕二のお面をかぶったジョンがステージ中央で抱き合う...。

それにしても「ラブストーリー」以来、日本の文化には見るべきものが無い、何も発信してきていない、ということなのだろうか。まぁ「ラブ・ジェネレーション」だとか「ロング・バケーション」だのというサジェスチョンもあったのだが、それも古いよな...。 (しかし、じつのところ1989年から11年間日本を留守にしていた私はここら辺の時代の日本文化をリアルタイムで経験していないのだ。)

最期はワムの「ラスト・クリスマス」をBGMに拍手、お辞儀、退場。

結果としては(手前味噌で恐縮だが)、大ウケ。いや、バカウケしてしまった。その他のグループが無難に「クリスマス・キャロルの合唱」だとか「いつもお客さんの前でやっているプレゼンのパロディー」なんてのをやっているなかで、ここまでバカに徹した我々の潔さがうけたらしい。

もっとも最優秀賞は「営業グループ」がもっていった。ジョンは「八百長だ!」などといってプリプリしていたが、私は彼らの出し物を見ていないのでなんとも言えん。なぜならあの晩の私はステージを降りてすぐにオフィスに戻り、ニューヨークに電話しなければならなかったからなのでした。

翌日のオフィスでは、いままで言葉を交わしたことも無かった人々が口をそろえて、

「いやぁ、昨日のはよかったよ。」

かくして「クソマジメな日本人」という私の猫かぶりのかぶり物は永遠にぶち壊されたのでした。

Thursday, December 27, 2007

Jet Scream

♪遠い地平線が消えて、ふかぶかとした夜の闇に心を休める時、
はるか雲海の上を音もなく流れ去る気流は、たゆみない宇宙の営みを告げています...♪

...懐かしい城達也さんのナレーション。中学3年生で高校受験勉強に明け暮れていたころ、深夜12時に、このナレーションがラジオから流れてくると、

「おぉ...今晩もオレ、がんばっちゃったな...」

などと自己満足したものです。

...いまから考えると...イヤミでキザで可愛くねぇガキだねぇ...。

城さん亡きいまではスネークマンショーで城さんをパロってた伊武雅刀さんがナレーションしているらしい。

今月初め、香港-東京-シンガポール-香港、というスケジュールで出張があり、東京-シンガポールをJALで飛びました。

しっとりと...昔を偲びながら...ジェット・ストリーム...

などと思ったのですが、実際はJAL名人会で三遊亭圓歌師匠の「圓歌の道しるべ」を何度もリピートして聞きながら、周りの客の迷惑も省みず声を上げて大笑いしていました。

「わたしが『落語家になる』って言ったらわたしを家から追い出したうちの親がなぜかわたしの家に住み着いた...と思ったら、死んだカミさんの両親、今のカミさんの両親...家の中6人もジジィとババァだらけになっちゃった...みんな朝が早ぇんだ、これが。そして朝から家の外ウロウロ歩き回る。家の前の道でタクシーがバァさん引きそこねて、運ちゃんが『オイ!気をつけろい!車に引かれてぇのか!』と怒鳴ったら、うちのババァ、『なんだとぉ...昔は人が車を引いてたぞ!』...だって。」

♪満天の星をいただく、はてしない光の海をゆたかに流れゆく風に心を開けば、
きらめく星座の物語も聞こえてくる、夜の静寂の、なんと饒舌なことでしょうか。
光と影の境に消えていったはるかな地平線も瞼に浮かんでまいります。
日本航空があなたにお送りする音楽の定期便ジェットストリーム 皆様の夜間飛行のお供をするパイロットは私、城達也です...♪

Monday, December 24, 2007

Gift from the Wise Men


昨年、クリスマス・カード代わりにアル・ゴアの「不都合な真実」を送ってくれた、プライヴェイト・エクイティ・ファンド、テラ・フィルマ社のガイ・ハンズさん。


今年のプレゼントはガルブレイスの「The Great Crash of 1929」でした。


カスタム・メイドのページには「Northern Rock」と看板を掲げた家の煙突から現ナマを注ぎ込むサンタさんのイラスト。


相変わらずタイムリーな人だ。


Monday, December 03, 2007

千里走単猪 (外伝之一)

アヘイ君が、

「結婚していますか?」

と聞くので、

「しているよ。」

と答えたら、すぐさま

「子供は何人いますか?」

と聞いてきた。

「う~ん、娘が二人に息子が一人...」

と答えたら、

「フォーチュン、フォーチュン」

と言う。

こっちはすっかり、「フォーチュン」、つまりは「大金」と言っているのかと思って、

「たしかに金かかるなぁ...。」

とつぶやいたら、アヘイ君、

「ノー、ノー...フォチュネット、フォチュネット...」

と言っている。

どうやら

「あなたは結婚している上に、一人っ子政策が厳しい中国に比べて子だくさんで幸せ(fortunate フォーチュネイト)だね。」

と言いたかったらしい。

智恵子抄じゃないが...あどけない独身中国人男性の家庭願望の話である。

Sunday, December 02, 2007

選挙!
















旅行記の続編更新が滞っていますが、実はオフィスのクリスマス・パーティーでリーガル・コンプライアンス部を代表してパフォーマンスすることになってしまい、その準備に追われているのです。別に自らすすんで、

「やります」

と言ったわけではないのですが、知らない間に

「新人なんだから、みんなに顔覚えてもらういい機会でしょ...」

とご指名。

いままでオフィスではネコかぶっていましたが、こういうことには必要以上にはりきってしまう私。むりやり共演者(共犯者?)としてスカウトした部下のジョン君と一緒にアイディアを出し合い、リハーサルしています。(ガラス張りのオフィスのなかで振り付けしているオヤジ二人...。)

そんなこんなで、最近すっかり「愛」を感じてきたマイ・マックを使いながら、パフォーマンスのBGMのミキシングに励んでいる今日、日曜日...なのですが...昨日の7人制ラグビーで亜脱臼した左肩が痛い...腕があがらん。今週水曜日の本番...踊れなかったらどうしよう...などと37歳のオヤジが「北島マヤ」みたいなこと言ってもしょうがないのですが...。

個人的には、そんなアホな週末を過ごしておりますが、当地香港の世間さまは今日は大騒ぎです。といいますのも、今日は香港特別行政区の議会にあたる立法会の補欠選挙の投票日なのです。

議席は香港島選挙区。立候補者はたしか8名ぐらいいるのですが、本命と対抗がなかなか魅せる組み合わせなのです。

本命は(上記写真左)アンソン・チャン(陳方安生...「方」が本人の姓で「陳」は結婚相手の姓のようです...未確認)。最後のイギリス香港総督クリストファー・パッテンの下で女性として初めて官僚トップの布政司となり、返還後北京に任命された董行政長官と折り合いが悪く野に下った。香港における普通選挙の早期実施を求める民主派。

対抗は(上記写真右)レジーナ・イップ(葉劉淑儀...同上...多分)。董行政長官の下、公安担当の官僚トップとして公安関連法律の導入で民主派と対立。デモ騒ぎに発展したため2003年、失脚。その後海外留学を経て、今回政界へ打って出てきた。支持母体は北京よりの政党「民建聯」。普通選挙に関しては、時期をみて導入という立場を取る慎重派。

テレビでは公開討論会番組がにぎわい、各立候補者それぞれ街頭演説や「桃太郎」(街頭を旗立て練り歩き)をしている映像を流していた。

「いや〜、ついに中國民主主義の夜明けかね〜...」

と中国人の友人に言ったら、彼は

「いや、大多数の人は今まで雲の上の存在だった政府高官が、みんなに頭下げている姿を見て、珍しがって興奮しているだけだよ...」

とクールな回答。

ま、たしかにご両人とも昔だったら「科挙状元」の才女。そんな見方もできるのかもしれない。

しかし毎日2万人以上といわれる中國本土から香港訪問中の人たちは同じ情景をどうみているのだろう。

投票日前の支持率はアンソン僅差でリード。今晩いったいどうなることか...。

Tuesday, November 27, 2007

千里走単猪 (其之三)

アヘイ君の英語はなかなかお上手だった。

だいたい外国語をしゃべる人には二通りあって、ただ単語の羅列から出発した片言言葉をしゃべる人(現状 における私の中国語のようなもの)、そしてちゃんと系統だってしっかりと文法を学んでいるひと。番目グループの人は語彙こそ少なく、意思伝達、感情表現の能力に劣るかもしれないが、聞く方の人間に話し手の知性を感じさせる。アヘイ君は後者だった。昆明の観光業の専門学校でアメリカ人から英語を学んだらしい。

「結婚しているの?」

ときくと。

「いやぁ...とてもとても...結婚するにはお金がかかるんですよ...今時の女は家と車がない男に は見向きもしませんからね。それが今じゃ車も家も高くなっちゃって...とても僕には手が届かないし...車持っていたって最近じゃガソリンの値段が高いし、ガソリンスタンド自体がガス欠なんてことも
時々あるんですよ...」

なんか身の上を聞いただけなのに、現在中国が抱える社会経済問題をその一身に背負ってしまったようなア ヘイ君。

(あぁ...やっぱり言葉は通じなくても美人のほうがよかったか...)

などと思ってみても後悔先に立たず。

石林は確かに天下の奇観。絶景ではありました。しかしそれ以上に私を驚かせたのは、中国人観光客の多さ。人、人、人...どこを観ても人だらけ。これ皆、ほとんど、99.9%中国人。これでオフピークだというのだから、ピークシーズンになったらどんな人出になるのか、想像もつかん。



[民族衣装でコスプレに興じる観光客]



















石林の岩道を上ったり、下ったりして一回りしたところで、「お約束」のお土産屋さんにつれてこられた。

怪しげな英語をしゃべる店のおじさん(彼の英語はアヘイ君の逆の片言タイプ)にお茶をすすめられ、書画を眺めていると、見覚えのある漢字の羅列が...

「月落ち鳥啼き...って、オイオイ...これは楓橋夜泊じゃないか。なんでこんな場違いな詩が雲南くんだりにあるんだ。蘇州ならわかるけどさ...」

「おぉ、この詩をご存知ですか。お客さん、学がありますねぇ〜...」

(いけねぇ...お茶飲んでさっさとお邪魔しようと思っていたのに...てめぇの半端な教養と見栄っ張
りが災いの元だぜ...)

「あぁ、お客さん...よく中国文化をご存知のあなたに、うちのプロフェッサーが書を差し上げたいと申しております...」

よくみると土産物屋の奥の方で、広い机にむかってお茶を飲み飲み芸術本を読んでいた老人が、やおら二本の筆を両の手にとり、半紙に向かっている。

(ますます、いけねぇな...)

老人は左右の筆を器用に交互に使いながら四文字を書きあげた。

「お客さん、どうですか?読めますか?」

「藝無国境...芸術に国境は無い...」

「おぉ...すばらしい...」

(てやんでぇ...くせぇ言葉書きくさりやがって...)

「プロフェッサーはお客さんにこの書を差し上げると言っております。いえいえお代はけっこうです。でももしここにある書や絵をお買い上げになるのであれば、お値段安くしおきますよ...」

(そらきた...)

「それでは、書にお名前を書かせていただきますので、こちらにあなた様のお名前を...」

「あぁ...だったらうちの息子の名前にしていただきますか。名前は麟...」

「おぉ...それでしたらご子息にもう一つ書を...プロフェッサーもよいと言っております。いえいえ...もちろんお代は結構です。でも、もしここの書画を...」

(しつこいな〜)

「それでは墨が乾くまでこちらでお待ちください...どうですか...この水墨画もプロフェッサーの作です。もしお望みでしたらお値段はお安くしときますよ。」

「はいはい分かりました、分かりました。負けました。それじゃここの竹の掛け軸をお願いしますよ...ほんとにもう...」

「ありがとうございます。このお金は地元の学校に寄付されますので...」

(本当かよ...)

結局掛け軸二つ(竹の水墨画と私の姓名を読み込んだ七言絶句)を持たされて土産物屋を後にしたのでした。

見事に土産物屋と「プロフェッサー」の連携プレイにやられてしまった私。

掛け軸2本をデイパックに突っ込み、アヘイ君に誘われるまま中国人観光客の団体をかきわけかきわけ石林風景区のなかをすすむ。

しばらくすると、民家風の建物の前につれてこられた。

土産物が並ぶ入り口を通り抜けると、八畳ぐらいの個室が通路を挟んで左右に並ぶ作りになっている。その個室の一つに入ると、今度はお茶の試飲。

オイオイ...また買わせるの?

私とアヘイ君だけを相手に、民族衣装の女性がまずは一杯...と迎賓茶(だったかな?)という緑茶だか白茶を注いでくれる。おぉ...爽快じゃ。

次に名産のプーアル茶。でもなぜか普通のプーアルと違って、発酵前らしく、色が薄い。うむ...美味じゃ。

引き続きウーロン茶、紅茶...と全部で六種類ぐらいのお茶を入れてくれる。最後の方のお茶はどうも甘くてかなわなかった。なんか変なもんがまじっていそうだ。

「どれが気にいったか、って彼女が聞いています...」

とアヘイ君。

(そらきた...)

と思いつつ、

「この発酵前のプーアル茶かなぁ...」

というと、プーアルの茶筒を持ってくる。値札には200元と書いてある。

「これ、あなたには特別に100元で売ります...」

...買っちまった...。

中国での値切り交渉はまず言い値の半額というのが鉄則らしいが、いきなり向こうから半額にしてきたのに面食らって、つい財布のひもを緩めてしまった。

それにしてもいい加減な値段設定だな...。

わざわざ試飲室を個室に分けているのも、ふっかけられる客にはとことんふっかけようという魂胆からなのだろう。

密室各個分断殲滅商法...ってか?

なんかすでにカモられるのにすっかりなれてきてしまった私は、目の前に並んだ茶で一服しながら個室の壁を眺めてみた。そこには大きなポスターがあり、「雲南三宝」と書いてある。ポスターの写真はいろいろな農場施設を視察する前共産党書記長、江沢民氏の姿。雲南省の「三宝」とは、お茶、タバコ、そして漢方薬の三七という植物の根らしい。

なんかいまいちパッとしない特産品だ。

いくら工場生産拠点が沿海部から内地に移ってきているとはいえ、雲南省のような交通の便の悪い奥地で、特産品がお茶とタバコと漢方薬じゃ中国の他の地方のような派手な経済発展は望めないだろう。市内の交通渋滞には厳しいものがあったが、去年訪れたヴェトナムのホーチミン・シティーやハノイのようなギラギラした活気はない。結局この地は観光産業に頼らざるを得ないのだろう。

この日、半日わたしにつきあってアヘイ君の手取りは80元。市内の庶民的な飯屋で食べた定食がだいたい5元ぐらいだから、生活には困らないだろうが、確かに家や車のようなインフレの影響をまともに受ける贅沢品には手が届きにくいのだろう。

そんな彼の目の前で100元のお茶を「はいよ」と買ってしまったことに一抹の理不尽さを覚えながら、今度は茶の販売所の隣の竹で作られた民家につれていかれた。そこは20畳ぐらいの土間になっており、古ぼけたはた織り機や、農作業の道具が陳列されていた。

他の五・六人の中国人観光客の男性と一緒に、木の切り株を使った小椅子にこしかけていると、小柄な民族衣装を着た女の子がマイクを持って突然早口の中国語でなんかの説明を始めた。

「なんだ、なんだ...おい、アヘイ君、いったい何が始まるんだ?」

と隣に座ったアヘイ君に尋ねたところ、背後から唐突に女性の嬌声がわき起こった。

「うぁ〜、何事じゃ!」

と振り向こうとしたとたん、駆け寄ってきた女の子数人に後ろから頭にアヘイ君がかぶっているような帽子をかぶせられ、ハート型の布製ペンダントが着いた首飾りをかけられ、チャンチャンコのような民族衣装のベストを着させられ、紅いうす絹でできたスカーフを手渡された。

私や他の観光客の「着せ替え」が終わると、女の子たちはキャーキャーいいながら、裏の広場に駆け出した。

「ほら、好きな女の子を捕まえて、そのスカーフをかぶせるんです!」

というアヘイ君。

なにがなんだか分からないうちに、しょうがないので立ち上がり、広場へ駆け出し、手近にいた女の子にスカーフをかぶせた。するとその女の子が私の手をぐいぐい引っ張って広場の先の別の建物の中に連れて行く。そこにはマイクをもった男性がいて、またなにかを中国語で説明しはじめた。

また小椅子に座らせられた私の横に膝まづいたくだんの女の子がなにか早口で私の耳につぶやき始める。

なるほど...どうやらこれは当地サミ族の婚礼儀式のデモンストレーションらしい...とやっと気がついた私。

ということはこの女の子は私に妻としての貞節の誓いの言葉をつぶやいているのかしらん...いやいや、この強引さから察するにどうやら私に夫としての義務を宣告しているのかもしれん...。

やっと状況把握ができはじめたところで今度は細いベンチのような腰掛けに女の子と一緒に立たされ、彼女の肩を抱きながらベンチから落ちないように彼女と立ち位置をいれかわる儀式。

これが終わってまた腰を下ろすと、今度は目の前にニュッと酒盃が突き出され、なんか白酒のようなものを飲まされる。

キュッと酒盃を干すと、これは親族代表役のような女の子たちが、背後から手を出してきた。なんじゃ、なんじゃ、と思って他の観光客の様子をみると、どうやらこいつらにご祝儀のお金をあげなきゃいけないらしい。しょうがないので、ポケットから札入れを取り出すと、彼女たちの手がウワーッと札束に群がる。

なんだかんだで300元ほどの出費。

トホホ...

目の角でアヘイ君の姿を探すと、思いがけない災難に遭っている私をうらやましげとも哀れみととれるまなざしで眺めているアヘイ君の姿がそこにあった。

そりゃそうだ。彼が半日かけて稼いでいる金額を彼女たちはこんなばか騒ぎに参加することによって観光客から巻き上げているのだから。

女系社会なわけだよな...。

集団カツアゲが一段落すると、女の子はまた私の手を引っ張って、他のめでたく婚礼相成った観光客たちと一緒に手を取り合ってスピーカ−から流れてきた音楽に合わせてフォークダンス。なんか半ばヤケになって気合い入れて踊ってしまった私。

これで結婚式パフォーマンスは終わり。

なんかグッタリ...。

[大騒ぎのヤラセ結婚式を斜に見ながらサミ族風水パイプをふかすオヤジ。竹をくくりぬいた中に水が入れてあり、普通のタバコを吸い口に挿して吸うらしい]












[昼飯で食べた蜂。蜂の子というのは聞いたことがあるが、これは子供だけじゃ無くて親の成虫も混ざっている。蜂の親子丼?]

Monday, November 26, 2007

千里走単猪 (其之二)

一泊目の投宿先を昆明翠湖賓館にしたわけは、このホテルに邱永漢さんが自ら出資した雲南コーヒーの店、「Q's Coffee」を出店しているからだ。昆明でトップクラスのこのホテルは昆明の市民憩いの場、翠湖のほとりに立っている。

たしかにごリッパなホテルだ。しかし翠湖の方は以前訪れた杭州の西湖同様、あまり感動しなかった。安っぽい中国風の東屋が点在し、そこらここらで中国人たちが集まって歌ったり踊ったりしている。なにやら元紅衛兵みたいな中年集団が勇ましい歌を歌っているのを遠巻きに眺めつつ、30分も歩き回ったところで早くも食傷気味。さっさとホテルに引き返し、くだんのコーヒーをごちそうになることにした。

コーヒーは確かにうまかった。酸味が上品。でもあともうちょっとコクが欲しいところ。しかしコーヒーより感心したのはお店のウェイトレスの接客態度が驚くほど洗練されていたこと。中国人従業員相手にここまで教育を徹底させているということに、関係者の努力が偲ばれる。コーヒーだけならどこでも手に入る。しかし、こうした上質のサービスを一世代前までは「接客サービス」という概念が存在しなかった中国に根付かせた功績は尊い。「ものつくり」と「ひとつくり」の結晶だ。さすが。

そんなこんなしているうちに、夜になってしまった。市内観光は後日とし、ホテル内を散策。ジム、プール、サウナにマッサージのサービスがあるというが、昨年のヴェトナムでの経験からあまりこういう場所で自分の局部を初対面のオバチャンにいじられるのはゾッとしないので、敬して遠ざけさせてもらう。


ホテルの3階にバーがあるというのでのぞいてみたら、超豪華ケンランな中国風ナイトクラブだった。ようするに大音響カラオケとダース単位のホステスおねえちゃんがはべる場所。エレヴェーターの扉が開いたとたんに、閲兵式よろしく左右に並んだおねえちゃんたちが一斉に中国語で

「いらっしゃいませ!」

(多分...)

と叫んだのに怖じ気づいてしまい、こっちもパス。

フロントで翌日の石林行きのタクシーを予約し、もう一泊する旨を伝え、館内の中国レストランで點心喰って(通常メニューは終わっていて夜食メニューだった)、この日は終わり。

翌朝8時に予約したタクシーに乗り、世界遺産の石林へ向かう。ガイドブックでは昆明から1時間ちょっとの距離。しかしタクシーは昆明市の朝のラッシュアワーにつかまり、市街地を出るのに一時間かかってしまった。市の環状道路(多分)の交差点にあたる場所では、「大理」だとか「貴陽」、「重慶」と書かれたミニバスたちが客待ちであちこちに路上駐車していて、渋滞を悪化させている。排気ガス汚染がものすごい。車の窓をしめきっても、排気ガスのにおいが鼻の奥を刺激する。

なんとか市外に脱出。

観光に力を入れている雲南省。さすがに昆明と石林をつなぐ「昆石高速道路」は快適な道だった。しかし道路脇に書かれている交通標語らしきものの存在は解せなかった。もちろん中国語なのだが、横書きの文章は、日本語同様、左から右に書かれている。中国では車は右側通行なので、道路の右側の壁に書かれている標語は、車の進行方向の一番遠いところからその文章が始まっているのだ。ようするに、車を運転しているものは文章のケツから読み進めていくことになる。もしかしたら反対車線の車に読ませるために書いてあるのかな、とも思ってみたが、中央分離帯の生け垣のせいで、反対車線の車からこっち側の壁の標語は読めない。まぁ、国はちがっても行政のムダというものはどこにでもあるものなのだなと納得。

約2時間かけて石林に到着。タクシーは石林入り口そばの飯屋の前につけた。

(あぁ、多分タクシーの運ちゃんとグルなんだろうな~)

と分かっていても、別に怒る気もしない。彼らも、もちつもたれつなんだろう。

車を降りたとたんに飯屋のオバチャンが飛び出してきて、どうやらコーヒーを進めているらしい。それじゃ失礼して...とお世辞にも美味くないコーヒーをすすっていたら、

「今日のあなたのガイドです!」

と当地少数民族のサミ族の民族衣装をまとった女性を紹介された。

頭を巡らせてガイド嬢をみると、これが超弩級美人。な、な、なんなんだ、なんなんだ!と思わず取り乱す私。スラっと背が高く、しなやかにのびた四肢に、流れるような白い民族衣装がよく似合う。色白の肌に、形のよい鼻梁。ぱっちりとした目。婉然とした微笑みを浮かべてこっちを見ている。

(あ、ありがとうございます!邱センセー!!やっぱりあなたは正しかった!!!)

思わずポーッとしてしまったが、ハッと思い返して、片言の中国語で、

「英語はなせますか?」

と聞いたら、

「ダメ」

とのお答え。

約3秒間ほど苦渋の思案をした後、

「すいません。英語のできる人お願いします...」

これを聞いて、美女は「プイッ」と去っていってしまった...。

One that got away... (写真だけでも取らせてもらえばよかった...あぁ...)

代わりに登場したのが、この御仁。

英語がしゃべれるガイド。

男性。

当年24歳のアヘイ君(アヘイとはサミ族の言葉で「男の子」という意味の普通名詞らしい)。

なんか幸先悪るい様な気がしてきた...。

Sunday, November 25, 2007

千里走単猪 (其之一)

そういうわけで(どういうわけだ?)中国旅行いってきました。

妻子のロンドン滞在が長引き、一人で家でくすぶっているのもあきあきしてきましたし、ラグビーもクリスマス前の試合を消化。今出かけなきゃ、12月は仕事で出張が続く予定なので、今年分の有給を使い切れない。そんなこんなで「え~い、ままよ...」と旅の空を目指すことにしたのです。

普段は腰が重い方なのですが、ときおりこのようにやむにやまれぬ「漂泊」の思いが突き上げてきます。Wanderlustというやつですな。去年も突然思い立ってフランスにいっちゃったっけ。

さて行き先はどうしよう。

妻は「タイでもいってくれば」といってくれたのですが、秋空の香港で未だに汗ばんでいる私ですので、暑そうな国にいくのは乗り気じゃない。いろいろ思案したあげく、以前から気になっていた「雲南」に進路をとることにしました。北京とか上海であれば、これからもいく機会は折々ありそうですが、さすがに雲南は自分で縁を作らなきゃ一生いけそうもないので。邱永漢さんも、そのネットのコラムで「一年中春めいた気候で美人が多い」とおっしゃっていたので、以前から頭の片隅にとどめおいたのです。ま、「美人」はあくまでオマケということで。

まるまる一週間休みをとり、銀行口座とカードの残高を確認し、飛行機のチケットを予約。いちおう英語のガイドブックを買い(後で分かったのだが、これがイマイチ使えない)、初日と最終日のホテルだけを予約して、レッツ・ゴー!

だいじょうぶだろうか...なさけないことには、未だに中国語全然しゃべれんのじゃ、ワシ。

(一応フレーズ・ブックみたいなのを一冊バッグにねじ込んでいきましたが、結局あまり使わなんだ。)

出発前の金曜日、ここ二ヶ月間しごいてきた香港人部下のジョン君に「あとをたのんまっせ」といったら「お土産は雲南名産のプーアル茶をよろしく。あと少数民族の女には気をつけてください。あいつら女系家族だから気がつよいですよ。」などと言われてしまった。すっかりうちとけてしまったのう、ワレ。

出発当日。荷物は貴重品用のデイパックとトラベルバッグのみ。自宅からタクシーで香港国際空港へ。30分で空港に着く。この簡便さ。何度も言っているが、我が祖国の成田空港にくらべると涙が出てくる。

雲南省の省都、昆明行きのドラゴン(港龍)航空の飛行機は...小さい...ま、二時間弱の旅程だもんね。

さらば香港...と窓の外の景色を観るうちに、なぜか無性に顔が笑ってしまふ。まだ飛行機に乗ったばかりで離陸もしていない。だが、旅に出るときの押さえがたい高揚感が自然と顔に出てしまう。やはり葛飾出身の私には「寅さん」のDNAがはいっているのだらうか。

「さくら...兄ちゃんは旅に出るよ...。」

高校時代に暗記した芭蕉の「奥の細道」の序が頭をかすめる。

「月日は百代の過客にしてゆきかう年もまた旅人なり...」

そんなこんなとりとめもないことを考えているうちに眠ってしまった。

気がついたら、飛行機は昆明めざして降下中。あれよあれよという間に着陸。おいおい。早いよ。オレの気持ちはまだ香港なんですけど。

ちょっと情けないが一泊目のホテルに迎えの車を頼んでおいた。なんか憧れていたんです。あの空港の到着出口で自分の名前が書いてあるカードをもって待っていてくれるというやつに。なんか特別に歓迎されている気がしませんか(オレだけか?)。

まったくアホだが、出口でたむろしている中国人の集団をなるべくさりげなく(しかしドキドキしながら)眺めると、一泊目の昆明翠湖賓館の兄ちゃんがホテルの制服を着て私の名前のカードを持って立っていた。

正直「ホッ」とする。到着したとたんに空港で迷子なんていう情けない事態は避けられた。

兄ちゃんにトラベルバッグをもってもらい、駐車場へ。屋外に出たとたんに物陰から物乞いの女の子が飛び出してきた。小学校低学年ぐらいだろうか。薄汚いピンクのセーターを着て垢に汚れた手の平を差し出す。よくみたら少女が飛び出してきた方向に彼女の母親らしき人物が他の2・3人の子供たちと一緒に座っていて、出てくる旅行者を指差して子供たちに

「そら、いっておいで...」

みたいに指図している。

オリンピックを控えた中国では、こういう物乞い、乞食のたぐいに厳しい態度で臨んでいると聞いていたが、さすがに雲南くんだりまでは中央政府の威令は行われていないのだろうか。しかも空港出口のすぐ外で、警官がウヨウヨしている場所だ。

まぁ乞食が乞食して糊口をしのげて、彼らが犯罪者化していないということは、それなりに社会が豊かであるという証左でもある。もっとも警察が法令にかかわらず、その存在を容認せざるを得ないということは、社会の貧困階級が厳然として存在しており、権力者にしてみればなす術がないということの証明でもある。中国共産党も大変だね。

手の平を突きつけてくる少女をなるべく視界に入れないように、目を伏せてホテルのベンツに乗り込む。私も海外生活が長いが、いまだに「甘ちゃん」日本人である私にとって、こういう貧富の差がはっきりとした構図に自分が当事者として出演してしまうのには未だに慣れない。

あまり性急な比較は避けるべきだろうが、日本のホームレスが社会の「落伍者」であるのにくらべ、中国のこうした少年少女は自分たちが「落伍」したのではなく、もともと「落伍」した階級に生まれ出てしまったのだ。

彼らが成人するころには中国の貧困層は救われているのだろうか。中国社会が日本なみの豊かさを享受するためには、中国経済は今の10倍規模に成長しなければならないという。

前途未だ遠し、である。

(つづく)

Wednesday, November 14, 2007

Hugh Jackman

最近気になる俳優、Hugh Jackman。(日本語のファンサイトはこちら









初めてその名を聞いたのはKate & Leopold(邦題...「ニューヨークの恋人」...)のころ。なんかは初めて聞く名前に初めて見る顔で、「ははぁ...さてはメグ・ライアンちゃん、トム・ハンクスにふられたな...」ぐらいにしか考えていませんでした。



その後、「X-Men」で狼男のWolverineをやることになった、と聞いても、

「フ~ン...売りだ出し中なのね...」

ぐらいにしか思っていなかったのですが ...



実は彼がもともとはミュージカル出身と聞き、ネットで検索してみたら... もともと母国のオーストラリアで「美女と野獣」のガストン役で世に出たらしい。

そしてオーストラリアでロイド・ウェバーの「サンセット大通り」の準主役。



この役でイギリスの有名舞台監督、Trevor Nunnの知己を得て、Nunnのイギリスのナショナル・シアターの「オクラホマ!」で主役、カーリーに抜擢。これが大当たり。


彼のハリウッドでのキャリアはここまでの大活躍のオマケだったわけだ。

その後、オーストラリア出身の歌手、Peter Allenの生涯を描いたミュージカル「The Boy from Oz」の主役をブロードウェイでつとめてこれが一大センセーションになったとか。その年のトニー賞をかっさらった。


この2004年トニー賞でのパフォーマンスはすごい。




その翌年の2005年トニー賞でのパフォーマンス。



う~ん...歌って、踊れて、演技ができる...そして「華」がある俳優。なんかスクリーンに閉じ込めるのがもったいないぐらいだ。こんな俳優、フレッド・アステア、ジーン・ケリー以来じゃないか?

とにかく今、注目しています。できたら映画はもういいから、舞台やってくれ~。

Tuesday, November 13, 2007

Self-Depreciation is the Most Gracious Form Humour

Dolly Parton on Whitney Houston's success with "I Will Alaways Love You", a song originally written by Parton:

"It was my song, it was her record, and it made us both rich. I will always appreciate her - I made a lot of money, and I need a lot of money, because it costs a lot of money to look this cheap."