Tuesday, August 28, 2007

Salon For Kindred Spirits

多分「アメリカ建国の父」と呼ばれる人たちの中で一番おもしろそうなベンジャミン・フランクリンさん(1706~1790)。

後に続く独立戦争後のリーダー世代や19世紀人は、しかめつらしいモラリスト、または偽善者(ジェファーソン君、キミのことだよ!)だったりしますが、啓蒙主義時代の空気を吸った18世紀人だったベン君は話がわかる人だった。

若い友人の「ムラムラしてしょうがないんですけど...」みたいな質問に、

「肉体関係を持つのなら年上の女性を選びましょう...彼女たちに感謝されますから。」

なんて言っちゃうヘンなオヤジ。

(このAdvice to a Young Manは必読。英語が古臭いので読むのに苦労するかもしれませんが、「... in the dark all cats are grey...」など、爆笑することまちがいなし。)

まぁ、ワシントン君がチンタラチンタラ独立戦争をやっている間、9年間(1776~1785)、外交官としてフランスに居座り、フランス国王相手に軍事協力を取り付けたり、シレッとした顔で戦争遂行のための借金したりしていたのですから、一筋縄でも二筋縄でもいかないジジィだったんでしょう。(日露戦争時の高橋是清に通じるかもしれない。)

そんなベン君がまだ21歳の若僧だったとき、フィラデルフィアで「フント(Junto、ラテン語で「会議」の意)」という雑談サロンの開設を企画します。ここでの議論や会話がその後の独立運動に結びついていくわけです。

21歳でそんなサロンを仕切っていたベン君。17歳のときにボストンの実家を家出してきたばかりの印刷工のわりにはなかなかの社交上手です。

話が脱線しますが、いろいろな陰謀説に登場するフリーメイソンなんかも、その存在意義においてはこのJuntoとたいして変わりは無かったと思うんですよね。

あの当時の人たちにとって社交の場なんて日曜日ごとの教会がある程度。とくに大地主で農場経営に忙しいワシントン君やジェファーソン君みたいな人たちはご近所付き合いもできない(というかご近所さんがいない)。教会じゃしにくい話なんかもあるし...ってなところで「フリーメイソン」がオルタナティブな社交・意見交換の場を提供していたのではないでしょうか。

最近アメリカやイギリスでもこのベン君のJuntoに倣った「意見交換サロン」が流行しているようです(しかもなぜかヘッジ・ファンド・マネジャーたちの間で)。

ふりかえって、わが日本。

人間関係がすべて縦割りだった江戸時代に、社交や意見交換の場を提供していたのは...

司馬さんの「竜馬がいく」を読むまでも無く、千葉・桃井・斉藤の江戸の三大道場をはじめとする剣道道場だったり、緒方洪庵の適塾、吉田松陰の松下村塾、そしてマイナーなところでは高野長英や村田蔵六が学んだ広瀬淡窓の咸宜園だったりしたわけです。

やはり長幼の別が厳しい儒教道徳の影響下にある日本では「サロン」というフラットな組織ではなく、同一の「先生」を仰ぐ下での「門下生」という形のほうがすんなりといくんでしょうな。

まぁ、慶應義塾なんてのもこのラインの延長線上にあるわけだし、近いところでは松下政経塾とか、大前研一さんの「ビジネス・ブレークスルー」とかグロービスなんてのもこの類でしょう。

日本にいたときにちょっと顔を出したことのある青年会議所とか、ヒルズ族系社交パーティーなんかは、人と人との結びつきに発展したり、新しいアイディアが開花するような土壌ではないんでしょうね。(男と女の結びつきに発展していたところはあるようですが...っていうかそれが目的だったのか...って今頃気がつくなよ...)

やはり日本人は「お勉強」「修行」という媒体を介した方が人間関係が発展するマジメな人種なんでしょう。

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