こんな記事がありました。
「米兵の身柄要求見送り=任意捜査を継続-女性集団暴行容疑・広島県警」
以前も述べましたが、日本人の場合、痴漢したのしないのウヤムヤなところでは躍起になって「落とす」ことに執着するくせに、アメリカさんの場合ですととたんに及び腰になるわけです。
昔はこういう人たちを「国賊」と呼んでいましたが、いまではなんと呼ぶのでしょうかね。
広島の事件のようですが、戦後なぜ広島ヤクザが天下に名をとどろかせるにいたったのか、県警はもう忘れてしまったんでしょうか。そんな疑問もこめて、このエントリーにこのタイトルを選ばせてもらいました。
要するに、肝心なときに国民を守ってくれない国家権力など「いらない」ということです。
「平成の平安貴族」である日本の官僚は、自分たちの「地位」に胡坐をかき、そのシステムを保全することに汲々としていますが、鎌倉武士このかた日本人の行動規律は「御恩に奉公」だということを忘れてはなりません。「御恩」として当然のことをしてくれない権力者に「奉公(納税)」は無用だということです。
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2 years ago
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