Tuesday, February 10, 2009

ポニョ ー 宮崎駿とジブリの限界

かれこれ2週間前になりますが、当地香港でも公開された「崖の上のポニョ」をセガレと一緒に観てきました。

かわいいし、テンポいいし、グラフィックももちろんいいんですが...なんか物足りなさを感じました。とくにストーリー展開。これは私だけの意見じゃないと思いますが、なんか「あれ?もう終わり?」みたいなエンディング。

「佳作」ではあるけれど、「名作」じゃない。

どん欲で身勝手な聴衆としては、常に前作よりよりよいモノを求め、次回作にはさらなる昇華を期待しているのですが、今の宮崎駿さんに更なる成長は期待できないのでしょうか。またジブリは宮崎駿という「個人」の才能を超えることはないのでしょうか。

(ちなみに私が好きなのは「カリオストロ」と「コナン」。ベストは「ラピュタ」です。)

これは本当に残念なことだと思うのです。つまり「ジブリ」は「ディズニー」にはなれないということです。

以前、「司馬遼太郎批判」を書いたとき(コチラ)にも言及しましたが、日本社会のいやらしいところは、司馬さんや、宮崎さんみたいな突出した才能が出現すると、それを「権威」として押し上げて、その影で甘い汁を吸おうとする動きがみえることなのです。

たとえディズニーのように一大企業を築き上げることはしなくても、または(大のディズニー・ファンだった)手塚治虫さんのように徒手空拳で日本のアニメ産業の興隆に寄与しなくても、海音寺潮五郎さんのように、自ら「マスコミ引退」を発表して後進の司馬遼太郎青年の世に出るのを後押しするようなことはできないものなのでしょうか。

今回特にがっかりさせられたのは地元の新聞に掲載された宮崎駿さんのインタビュー。

「ピクサーのようなコンピューター・アニメーションは観ない。造形が気持ち悪い。」

老人になっても新しいスタイルを追い求めた北斎や、新人漫画家に本気でライバル意識を胸の奥底で燃やし続けていた手塚治虫さんは、そんな態度をどう思って眺めるでしょうか。

こうした周りの取り巻きによって肥大化された唯我独尊の限界が、「ポニョ」の中途半端なストーリーにまざまざと反映されているような気がしてなりません。

こうした面で、ディズニーと提携したピクサーは大成功していると思います。ちょうどいいケース・スタディーは、ピクサー創業の功臣であるジョン・ラセターのペット・プロジェクトだった「カーズ」が不発気味に終わったのと対照的に大ヒットした「ラタトゥイュ(邦題は「レミーのなんちゃらレストラン」だったっけ?)」や「ウォリー」。後者の作品群のストーリー・アイディアは、ディズニーが長年積み上げてきた「ストーリー・テリング」の伝統と、ピクサーの技術の理想的結晶だったわけです。

ジブリにはライバル兼パートナーが必要なのです。そして宮崎駿を超えなくてはなりません。

そして日本には「競争」と「シナジー」が必要なのです。

舞の海には小錦が必要だったようにね。

オマケ。アトムがやってくるぞ!

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