そういうわけで(どういうわけだ?)中国旅行いってきました。
妻子のロンドン滞在が長引き、一人で家でくすぶっているのもあきあきしてきましたし、ラグビーもクリスマス前の試合を消化。今出かけなきゃ、12月は仕事で出張が続く予定なので、今年分の有給を使い切れない。そんなこんなで「え~い、ままよ...」と旅の空を目指すことにしたのです。
普段は腰が重い方なのですが、ときおりこのようにやむにやまれぬ「漂泊」の思いが突き上げてきます。Wanderlustというやつですな。去年も突然思い立ってフランスにいっちゃったっけ。
さて行き先はどうしよう。
妻は「タイでもいってくれば」といってくれたのですが、秋空の香港で未だに汗ばんでいる私ですので、暑そうな国にいくのは乗り気じゃない。いろいろ思案したあげく、以前から気になっていた「雲南」に進路をとることにしました。北京とか上海であれば、これからもいく機会は折々ありそうですが、さすがに雲南は自分で縁を作らなきゃ一生いけそうもないので。邱永漢さんも、そのネットのコラムで「一年中春めいた気候で美人が多い」とおっしゃっていたので、以前から頭の片隅にとどめおいたのです。ま、「美人」はあくまでオマケということで。
まるまる一週間休みをとり、銀行口座とカードの残高を確認し、飛行機のチケットを予約。いちおう英語のガイドブックを買い(後で分かったのだが、これがイマイチ使えない)、初日と最終日のホテルだけを予約して、レッツ・ゴー!
だいじょうぶだろうか...なさけないことには、未だに中国語全然しゃべれんのじゃ、ワシ。
(一応フレーズ・ブックみたいなのを一冊バッグにねじ込んでいきましたが、結局あまり使わなんだ。)
出発前の金曜日、ここ二ヶ月間しごいてきた香港人部下のジョン君に「あとをたのんまっせ」といったら「お土産は雲南名産のプーアル茶をよろしく。あと少数民族の女には気をつけてください。あいつら女系家族だから気がつよいですよ。」などと言われてしまった。すっかりうちとけてしまったのう、ワレ。
出発当日。荷物は貴重品用のデイパックとトラベルバッグのみ。自宅からタクシーで香港国際空港へ。30分で空港に着く。この簡便さ。何度も言っているが、我が祖国の成田空港にくらべると涙が出てくる。
雲南省の省都、昆明行きのドラゴン(港龍)航空の飛行機は...小さい...ま、二時間弱の旅程だもんね。
さらば香港...と窓の外の景色を観るうちに、なぜか無性に顔が笑ってしまふ。まだ飛行機に乗ったばかりで離陸もしていない。だが、旅に出るときの押さえがたい高揚感が自然と顔に出てしまう。やはり葛飾出身の私には「寅さん」のDNAがはいっているのだらうか。
「さくら...兄ちゃんは旅に出るよ...。」
高校時代に暗記した芭蕉の「奥の細道」の序が頭をかすめる。
「月日は百代の過客にしてゆきかう年もまた旅人なり...」
そんなこんなとりとめもないことを考えているうちに眠ってしまった。
気がついたら、飛行機は昆明めざして降下中。あれよあれよという間に着陸。おいおい。早いよ。オレの気持ちはまだ香港なんですけど。
ちょっと情けないが一泊目のホテルに迎えの車を頼んでおいた。なんか憧れていたんです。あの空港の到着出口で自分の名前が書いてあるカードをもって待っていてくれるというやつに。なんか特別に歓迎されている気がしませんか(オレだけか?)。
まったくアホだが、出口でたむろしている中国人の集団をなるべくさりげなく(しかしドキドキしながら)眺めると、一泊目の昆明翠湖賓館の兄ちゃんがホテルの制服を着て私の名前のカードを持って立っていた。
正直「ホッ」とする。到着したとたんに空港で迷子なんていう情けない事態は避けられた。
兄ちゃんにトラベルバッグをもってもらい、駐車場へ。屋外に出たとたんに物陰から物乞いの女の子が飛び出してきた。小学校低学年ぐらいだろうか。薄汚いピンクのセーターを着て垢に汚れた手の平を差し出す。よくみたら少女が飛び出してきた方向に彼女の母親らしき人物が他の2・3人の子供たちと一緒に座っていて、出てくる旅行者を指差して子供たちに
「そら、いっておいで...」
みたいに指図している。
オリンピックを控えた中国では、こういう物乞い、乞食のたぐいに厳しい態度で臨んでいると聞いていたが、さすがに雲南くんだりまでは中央政府の威令は行われていないのだろうか。しかも空港出口のすぐ外で、警官がウヨウヨしている場所だ。
まぁ乞食が乞食して糊口をしのげて、彼らが犯罪者化していないということは、それなりに社会が豊かであるという証左でもある。もっとも警察が法令にかかわらず、その存在を容認せざるを得ないということは、社会の貧困階級が厳然として存在しており、権力者にしてみればなす術がないということの証明でもある。中国共産党も大変だね。
手の平を突きつけてくる少女をなるべく視界に入れないように、目を伏せてホテルのベンツに乗り込む。私も海外生活が長いが、いまだに「甘ちゃん」日本人である私にとって、こういう貧富の差がはっきりとした構図に自分が当事者として出演してしまうのには未だに慣れない。
あまり性急な比較は避けるべきだろうが、日本のホームレスが社会の「落伍者」であるのにくらべ、中国のこうした少年少女は自分たちが「落伍」したのではなく、もともと「落伍」した階級に生まれ出てしまったのだ。
彼らが成人するころには中国の貧困層は救われているのだろうか。中国社会が日本なみの豊かさを享受するためには、中国経済は今の10倍規模に成長しなければならないという。
前途未だ遠し、である。
(つづく)
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