Tuesday, November 27, 2007

千里走単猪 (其之三)

アヘイ君の英語はなかなかお上手だった。

だいたい外国語をしゃべる人には二通りあって、ただ単語の羅列から出発した片言言葉をしゃべる人(現状 における私の中国語のようなもの)、そしてちゃんと系統だってしっかりと文法を学んでいるひと。番目グループの人は語彙こそ少なく、意思伝達、感情表現の能力に劣るかもしれないが、聞く方の人間に話し手の知性を感じさせる。アヘイ君は後者だった。昆明の観光業の専門学校でアメリカ人から英語を学んだらしい。

「結婚しているの?」

ときくと。

「いやぁ...とてもとても...結婚するにはお金がかかるんですよ...今時の女は家と車がない男に は見向きもしませんからね。それが今じゃ車も家も高くなっちゃって...とても僕には手が届かないし...車持っていたって最近じゃガソリンの値段が高いし、ガソリンスタンド自体がガス欠なんてことも
時々あるんですよ...」

なんか身の上を聞いただけなのに、現在中国が抱える社会経済問題をその一身に背負ってしまったようなア ヘイ君。

(あぁ...やっぱり言葉は通じなくても美人のほうがよかったか...)

などと思ってみても後悔先に立たず。

石林は確かに天下の奇観。絶景ではありました。しかしそれ以上に私を驚かせたのは、中国人観光客の多さ。人、人、人...どこを観ても人だらけ。これ皆、ほとんど、99.9%中国人。これでオフピークだというのだから、ピークシーズンになったらどんな人出になるのか、想像もつかん。



[民族衣装でコスプレに興じる観光客]



















石林の岩道を上ったり、下ったりして一回りしたところで、「お約束」のお土産屋さんにつれてこられた。

怪しげな英語をしゃべる店のおじさん(彼の英語はアヘイ君の逆の片言タイプ)にお茶をすすめられ、書画を眺めていると、見覚えのある漢字の羅列が...

「月落ち鳥啼き...って、オイオイ...これは楓橋夜泊じゃないか。なんでこんな場違いな詩が雲南くんだりにあるんだ。蘇州ならわかるけどさ...」

「おぉ、この詩をご存知ですか。お客さん、学がありますねぇ〜...」

(いけねぇ...お茶飲んでさっさとお邪魔しようと思っていたのに...てめぇの半端な教養と見栄っ張
りが災いの元だぜ...)

「あぁ、お客さん...よく中国文化をご存知のあなたに、うちのプロフェッサーが書を差し上げたいと申しております...」

よくみると土産物屋の奥の方で、広い机にむかってお茶を飲み飲み芸術本を読んでいた老人が、やおら二本の筆を両の手にとり、半紙に向かっている。

(ますます、いけねぇな...)

老人は左右の筆を器用に交互に使いながら四文字を書きあげた。

「お客さん、どうですか?読めますか?」

「藝無国境...芸術に国境は無い...」

「おぉ...すばらしい...」

(てやんでぇ...くせぇ言葉書きくさりやがって...)

「プロフェッサーはお客さんにこの書を差し上げると言っております。いえいえお代はけっこうです。でももしここにある書や絵をお買い上げになるのであれば、お値段安くしおきますよ...」

(そらきた...)

「それでは、書にお名前を書かせていただきますので、こちらにあなた様のお名前を...」

「あぁ...だったらうちの息子の名前にしていただきますか。名前は麟...」

「おぉ...それでしたらご子息にもう一つ書を...プロフェッサーもよいと言っております。いえいえ...もちろんお代は結構です。でも、もしここの書画を...」

(しつこいな〜)

「それでは墨が乾くまでこちらでお待ちください...どうですか...この水墨画もプロフェッサーの作です。もしお望みでしたらお値段はお安くしときますよ。」

「はいはい分かりました、分かりました。負けました。それじゃここの竹の掛け軸をお願いしますよ...ほんとにもう...」

「ありがとうございます。このお金は地元の学校に寄付されますので...」

(本当かよ...)

結局掛け軸二つ(竹の水墨画と私の姓名を読み込んだ七言絶句)を持たされて土産物屋を後にしたのでした。

見事に土産物屋と「プロフェッサー」の連携プレイにやられてしまった私。

掛け軸2本をデイパックに突っ込み、アヘイ君に誘われるまま中国人観光客の団体をかきわけかきわけ石林風景区のなかをすすむ。

しばらくすると、民家風の建物の前につれてこられた。

土産物が並ぶ入り口を通り抜けると、八畳ぐらいの個室が通路を挟んで左右に並ぶ作りになっている。その個室の一つに入ると、今度はお茶の試飲。

オイオイ...また買わせるの?

私とアヘイ君だけを相手に、民族衣装の女性がまずは一杯...と迎賓茶(だったかな?)という緑茶だか白茶を注いでくれる。おぉ...爽快じゃ。

次に名産のプーアル茶。でもなぜか普通のプーアルと違って、発酵前らしく、色が薄い。うむ...美味じゃ。

引き続きウーロン茶、紅茶...と全部で六種類ぐらいのお茶を入れてくれる。最後の方のお茶はどうも甘くてかなわなかった。なんか変なもんがまじっていそうだ。

「どれが気にいったか、って彼女が聞いています...」

とアヘイ君。

(そらきた...)

と思いつつ、

「この発酵前のプーアル茶かなぁ...」

というと、プーアルの茶筒を持ってくる。値札には200元と書いてある。

「これ、あなたには特別に100元で売ります...」

...買っちまった...。

中国での値切り交渉はまず言い値の半額というのが鉄則らしいが、いきなり向こうから半額にしてきたのに面食らって、つい財布のひもを緩めてしまった。

それにしてもいい加減な値段設定だな...。

わざわざ試飲室を個室に分けているのも、ふっかけられる客にはとことんふっかけようという魂胆からなのだろう。

密室各個分断殲滅商法...ってか?

なんかすでにカモられるのにすっかりなれてきてしまった私は、目の前に並んだ茶で一服しながら個室の壁を眺めてみた。そこには大きなポスターがあり、「雲南三宝」と書いてある。ポスターの写真はいろいろな農場施設を視察する前共産党書記長、江沢民氏の姿。雲南省の「三宝」とは、お茶、タバコ、そして漢方薬の三七という植物の根らしい。

なんかいまいちパッとしない特産品だ。

いくら工場生産拠点が沿海部から内地に移ってきているとはいえ、雲南省のような交通の便の悪い奥地で、特産品がお茶とタバコと漢方薬じゃ中国の他の地方のような派手な経済発展は望めないだろう。市内の交通渋滞には厳しいものがあったが、去年訪れたヴェトナムのホーチミン・シティーやハノイのようなギラギラした活気はない。結局この地は観光産業に頼らざるを得ないのだろう。

この日、半日わたしにつきあってアヘイ君の手取りは80元。市内の庶民的な飯屋で食べた定食がだいたい5元ぐらいだから、生活には困らないだろうが、確かに家や車のようなインフレの影響をまともに受ける贅沢品には手が届きにくいのだろう。

そんな彼の目の前で100元のお茶を「はいよ」と買ってしまったことに一抹の理不尽さを覚えながら、今度は茶の販売所の隣の竹で作られた民家につれていかれた。そこは20畳ぐらいの土間になっており、古ぼけたはた織り機や、農作業の道具が陳列されていた。

他の五・六人の中国人観光客の男性と一緒に、木の切り株を使った小椅子にこしかけていると、小柄な民族衣装を着た女の子がマイクを持って突然早口の中国語でなんかの説明を始めた。

「なんだ、なんだ...おい、アヘイ君、いったい何が始まるんだ?」

と隣に座ったアヘイ君に尋ねたところ、背後から唐突に女性の嬌声がわき起こった。

「うぁ〜、何事じゃ!」

と振り向こうとしたとたん、駆け寄ってきた女の子数人に後ろから頭にアヘイ君がかぶっているような帽子をかぶせられ、ハート型の布製ペンダントが着いた首飾りをかけられ、チャンチャンコのような民族衣装のベストを着させられ、紅いうす絹でできたスカーフを手渡された。

私や他の観光客の「着せ替え」が終わると、女の子たちはキャーキャーいいながら、裏の広場に駆け出した。

「ほら、好きな女の子を捕まえて、そのスカーフをかぶせるんです!」

というアヘイ君。

なにがなんだか分からないうちに、しょうがないので立ち上がり、広場へ駆け出し、手近にいた女の子にスカーフをかぶせた。するとその女の子が私の手をぐいぐい引っ張って広場の先の別の建物の中に連れて行く。そこにはマイクをもった男性がいて、またなにかを中国語で説明しはじめた。

また小椅子に座らせられた私の横に膝まづいたくだんの女の子がなにか早口で私の耳につぶやき始める。

なるほど...どうやらこれは当地サミ族の婚礼儀式のデモンストレーションらしい...とやっと気がついた私。

ということはこの女の子は私に妻としての貞節の誓いの言葉をつぶやいているのかしらん...いやいや、この強引さから察するにどうやら私に夫としての義務を宣告しているのかもしれん...。

やっと状況把握ができはじめたところで今度は細いベンチのような腰掛けに女の子と一緒に立たされ、彼女の肩を抱きながらベンチから落ちないように彼女と立ち位置をいれかわる儀式。

これが終わってまた腰を下ろすと、今度は目の前にニュッと酒盃が突き出され、なんか白酒のようなものを飲まされる。

キュッと酒盃を干すと、これは親族代表役のような女の子たちが、背後から手を出してきた。なんじゃ、なんじゃ、と思って他の観光客の様子をみると、どうやらこいつらにご祝儀のお金をあげなきゃいけないらしい。しょうがないので、ポケットから札入れを取り出すと、彼女たちの手がウワーッと札束に群がる。

なんだかんだで300元ほどの出費。

トホホ...

目の角でアヘイ君の姿を探すと、思いがけない災難に遭っている私をうらやましげとも哀れみととれるまなざしで眺めているアヘイ君の姿がそこにあった。

そりゃそうだ。彼が半日かけて稼いでいる金額を彼女たちはこんなばか騒ぎに参加することによって観光客から巻き上げているのだから。

女系社会なわけだよな...。

集団カツアゲが一段落すると、女の子はまた私の手を引っ張って、他のめでたく婚礼相成った観光客たちと一緒に手を取り合ってスピーカ−から流れてきた音楽に合わせてフォークダンス。なんか半ばヤケになって気合い入れて踊ってしまった私。

これで結婚式パフォーマンスは終わり。

なんかグッタリ...。

[大騒ぎのヤラセ結婚式を斜に見ながらサミ族風水パイプをふかすオヤジ。竹をくくりぬいた中に水が入れてあり、普通のタバコを吸い口に挿して吸うらしい]












[昼飯で食べた蜂。蜂の子というのは聞いたことがあるが、これは子供だけじゃ無くて親の成虫も混ざっている。蜂の親子丼?]

Monday, November 26, 2007

千里走単猪 (其之二)

一泊目の投宿先を昆明翠湖賓館にしたわけは、このホテルに邱永漢さんが自ら出資した雲南コーヒーの店、「Q's Coffee」を出店しているからだ。昆明でトップクラスのこのホテルは昆明の市民憩いの場、翠湖のほとりに立っている。

たしかにごリッパなホテルだ。しかし翠湖の方は以前訪れた杭州の西湖同様、あまり感動しなかった。安っぽい中国風の東屋が点在し、そこらここらで中国人たちが集まって歌ったり踊ったりしている。なにやら元紅衛兵みたいな中年集団が勇ましい歌を歌っているのを遠巻きに眺めつつ、30分も歩き回ったところで早くも食傷気味。さっさとホテルに引き返し、くだんのコーヒーをごちそうになることにした。

コーヒーは確かにうまかった。酸味が上品。でもあともうちょっとコクが欲しいところ。しかしコーヒーより感心したのはお店のウェイトレスの接客態度が驚くほど洗練されていたこと。中国人従業員相手にここまで教育を徹底させているということに、関係者の努力が偲ばれる。コーヒーだけならどこでも手に入る。しかし、こうした上質のサービスを一世代前までは「接客サービス」という概念が存在しなかった中国に根付かせた功績は尊い。「ものつくり」と「ひとつくり」の結晶だ。さすが。

そんなこんなしているうちに、夜になってしまった。市内観光は後日とし、ホテル内を散策。ジム、プール、サウナにマッサージのサービスがあるというが、昨年のヴェトナムでの経験からあまりこういう場所で自分の局部を初対面のオバチャンにいじられるのはゾッとしないので、敬して遠ざけさせてもらう。


ホテルの3階にバーがあるというのでのぞいてみたら、超豪華ケンランな中国風ナイトクラブだった。ようするに大音響カラオケとダース単位のホステスおねえちゃんがはべる場所。エレヴェーターの扉が開いたとたんに、閲兵式よろしく左右に並んだおねえちゃんたちが一斉に中国語で

「いらっしゃいませ!」

(多分...)

と叫んだのに怖じ気づいてしまい、こっちもパス。

フロントで翌日の石林行きのタクシーを予約し、もう一泊する旨を伝え、館内の中国レストランで點心喰って(通常メニューは終わっていて夜食メニューだった)、この日は終わり。

翌朝8時に予約したタクシーに乗り、世界遺産の石林へ向かう。ガイドブックでは昆明から1時間ちょっとの距離。しかしタクシーは昆明市の朝のラッシュアワーにつかまり、市街地を出るのに一時間かかってしまった。市の環状道路(多分)の交差点にあたる場所では、「大理」だとか「貴陽」、「重慶」と書かれたミニバスたちが客待ちであちこちに路上駐車していて、渋滞を悪化させている。排気ガス汚染がものすごい。車の窓をしめきっても、排気ガスのにおいが鼻の奥を刺激する。

なんとか市外に脱出。

観光に力を入れている雲南省。さすがに昆明と石林をつなぐ「昆石高速道路」は快適な道だった。しかし道路脇に書かれている交通標語らしきものの存在は解せなかった。もちろん中国語なのだが、横書きの文章は、日本語同様、左から右に書かれている。中国では車は右側通行なので、道路の右側の壁に書かれている標語は、車の進行方向の一番遠いところからその文章が始まっているのだ。ようするに、車を運転しているものは文章のケツから読み進めていくことになる。もしかしたら反対車線の車に読ませるために書いてあるのかな、とも思ってみたが、中央分離帯の生け垣のせいで、反対車線の車からこっち側の壁の標語は読めない。まぁ、国はちがっても行政のムダというものはどこにでもあるものなのだなと納得。

約2時間かけて石林に到着。タクシーは石林入り口そばの飯屋の前につけた。

(あぁ、多分タクシーの運ちゃんとグルなんだろうな~)

と分かっていても、別に怒る気もしない。彼らも、もちつもたれつなんだろう。

車を降りたとたんに飯屋のオバチャンが飛び出してきて、どうやらコーヒーを進めているらしい。それじゃ失礼して...とお世辞にも美味くないコーヒーをすすっていたら、

「今日のあなたのガイドです!」

と当地少数民族のサミ族の民族衣装をまとった女性を紹介された。

頭を巡らせてガイド嬢をみると、これが超弩級美人。な、な、なんなんだ、なんなんだ!と思わず取り乱す私。スラっと背が高く、しなやかにのびた四肢に、流れるような白い民族衣装がよく似合う。色白の肌に、形のよい鼻梁。ぱっちりとした目。婉然とした微笑みを浮かべてこっちを見ている。

(あ、ありがとうございます!邱センセー!!やっぱりあなたは正しかった!!!)

思わずポーッとしてしまったが、ハッと思い返して、片言の中国語で、

「英語はなせますか?」

と聞いたら、

「ダメ」

とのお答え。

約3秒間ほど苦渋の思案をした後、

「すいません。英語のできる人お願いします...」

これを聞いて、美女は「プイッ」と去っていってしまった...。

One that got away... (写真だけでも取らせてもらえばよかった...あぁ...)

代わりに登場したのが、この御仁。

英語がしゃべれるガイド。

男性。

当年24歳のアヘイ君(アヘイとはサミ族の言葉で「男の子」という意味の普通名詞らしい)。

なんか幸先悪るい様な気がしてきた...。

Sunday, November 25, 2007

千里走単猪 (其之一)

そういうわけで(どういうわけだ?)中国旅行いってきました。

妻子のロンドン滞在が長引き、一人で家でくすぶっているのもあきあきしてきましたし、ラグビーもクリスマス前の試合を消化。今出かけなきゃ、12月は仕事で出張が続く予定なので、今年分の有給を使い切れない。そんなこんなで「え~い、ままよ...」と旅の空を目指すことにしたのです。

普段は腰が重い方なのですが、ときおりこのようにやむにやまれぬ「漂泊」の思いが突き上げてきます。Wanderlustというやつですな。去年も突然思い立ってフランスにいっちゃったっけ。

さて行き先はどうしよう。

妻は「タイでもいってくれば」といってくれたのですが、秋空の香港で未だに汗ばんでいる私ですので、暑そうな国にいくのは乗り気じゃない。いろいろ思案したあげく、以前から気になっていた「雲南」に進路をとることにしました。北京とか上海であれば、これからもいく機会は折々ありそうですが、さすがに雲南は自分で縁を作らなきゃ一生いけそうもないので。邱永漢さんも、そのネットのコラムで「一年中春めいた気候で美人が多い」とおっしゃっていたので、以前から頭の片隅にとどめおいたのです。ま、「美人」はあくまでオマケということで。

まるまる一週間休みをとり、銀行口座とカードの残高を確認し、飛行機のチケットを予約。いちおう英語のガイドブックを買い(後で分かったのだが、これがイマイチ使えない)、初日と最終日のホテルだけを予約して、レッツ・ゴー!

だいじょうぶだろうか...なさけないことには、未だに中国語全然しゃべれんのじゃ、ワシ。

(一応フレーズ・ブックみたいなのを一冊バッグにねじ込んでいきましたが、結局あまり使わなんだ。)

出発前の金曜日、ここ二ヶ月間しごいてきた香港人部下のジョン君に「あとをたのんまっせ」といったら「お土産は雲南名産のプーアル茶をよろしく。あと少数民族の女には気をつけてください。あいつら女系家族だから気がつよいですよ。」などと言われてしまった。すっかりうちとけてしまったのう、ワレ。

出発当日。荷物は貴重品用のデイパックとトラベルバッグのみ。自宅からタクシーで香港国際空港へ。30分で空港に着く。この簡便さ。何度も言っているが、我が祖国の成田空港にくらべると涙が出てくる。

雲南省の省都、昆明行きのドラゴン(港龍)航空の飛行機は...小さい...ま、二時間弱の旅程だもんね。

さらば香港...と窓の外の景色を観るうちに、なぜか無性に顔が笑ってしまふ。まだ飛行機に乗ったばかりで離陸もしていない。だが、旅に出るときの押さえがたい高揚感が自然と顔に出てしまう。やはり葛飾出身の私には「寅さん」のDNAがはいっているのだらうか。

「さくら...兄ちゃんは旅に出るよ...。」

高校時代に暗記した芭蕉の「奥の細道」の序が頭をかすめる。

「月日は百代の過客にしてゆきかう年もまた旅人なり...」

そんなこんなとりとめもないことを考えているうちに眠ってしまった。

気がついたら、飛行機は昆明めざして降下中。あれよあれよという間に着陸。おいおい。早いよ。オレの気持ちはまだ香港なんですけど。

ちょっと情けないが一泊目のホテルに迎えの車を頼んでおいた。なんか憧れていたんです。あの空港の到着出口で自分の名前が書いてあるカードをもって待っていてくれるというやつに。なんか特別に歓迎されている気がしませんか(オレだけか?)。

まったくアホだが、出口でたむろしている中国人の集団をなるべくさりげなく(しかしドキドキしながら)眺めると、一泊目の昆明翠湖賓館の兄ちゃんがホテルの制服を着て私の名前のカードを持って立っていた。

正直「ホッ」とする。到着したとたんに空港で迷子なんていう情けない事態は避けられた。

兄ちゃんにトラベルバッグをもってもらい、駐車場へ。屋外に出たとたんに物陰から物乞いの女の子が飛び出してきた。小学校低学年ぐらいだろうか。薄汚いピンクのセーターを着て垢に汚れた手の平を差し出す。よくみたら少女が飛び出してきた方向に彼女の母親らしき人物が他の2・3人の子供たちと一緒に座っていて、出てくる旅行者を指差して子供たちに

「そら、いっておいで...」

みたいに指図している。

オリンピックを控えた中国では、こういう物乞い、乞食のたぐいに厳しい態度で臨んでいると聞いていたが、さすがに雲南くんだりまでは中央政府の威令は行われていないのだろうか。しかも空港出口のすぐ外で、警官がウヨウヨしている場所だ。

まぁ乞食が乞食して糊口をしのげて、彼らが犯罪者化していないということは、それなりに社会が豊かであるという証左でもある。もっとも警察が法令にかかわらず、その存在を容認せざるを得ないということは、社会の貧困階級が厳然として存在しており、権力者にしてみればなす術がないということの証明でもある。中国共産党も大変だね。

手の平を突きつけてくる少女をなるべく視界に入れないように、目を伏せてホテルのベンツに乗り込む。私も海外生活が長いが、いまだに「甘ちゃん」日本人である私にとって、こういう貧富の差がはっきりとした構図に自分が当事者として出演してしまうのには未だに慣れない。

あまり性急な比較は避けるべきだろうが、日本のホームレスが社会の「落伍者」であるのにくらべ、中国のこうした少年少女は自分たちが「落伍」したのではなく、もともと「落伍」した階級に生まれ出てしまったのだ。

彼らが成人するころには中国の貧困層は救われているのだろうか。中国社会が日本なみの豊かさを享受するためには、中国経済は今の10倍規模に成長しなければならないという。

前途未だ遠し、である。

(つづく)

Wednesday, November 14, 2007

Hugh Jackman

最近気になる俳優、Hugh Jackman。(日本語のファンサイトはこちら









初めてその名を聞いたのはKate & Leopold(邦題...「ニューヨークの恋人」...)のころ。なんかは初めて聞く名前に初めて見る顔で、「ははぁ...さてはメグ・ライアンちゃん、トム・ハンクスにふられたな...」ぐらいにしか考えていませんでした。



その後、「X-Men」で狼男のWolverineをやることになった、と聞いても、

「フ~ン...売りだ出し中なのね...」

ぐらいにしか思っていなかったのですが ...



実は彼がもともとはミュージカル出身と聞き、ネットで検索してみたら... もともと母国のオーストラリアで「美女と野獣」のガストン役で世に出たらしい。

そしてオーストラリアでロイド・ウェバーの「サンセット大通り」の準主役。



この役でイギリスの有名舞台監督、Trevor Nunnの知己を得て、Nunnのイギリスのナショナル・シアターの「オクラホマ!」で主役、カーリーに抜擢。これが大当たり。


彼のハリウッドでのキャリアはここまでの大活躍のオマケだったわけだ。

その後、オーストラリア出身の歌手、Peter Allenの生涯を描いたミュージカル「The Boy from Oz」の主役をブロードウェイでつとめてこれが一大センセーションになったとか。その年のトニー賞をかっさらった。


この2004年トニー賞でのパフォーマンスはすごい。




その翌年の2005年トニー賞でのパフォーマンス。



う~ん...歌って、踊れて、演技ができる...そして「華」がある俳優。なんかスクリーンに閉じ込めるのがもったいないぐらいだ。こんな俳優、フレッド・アステア、ジーン・ケリー以来じゃないか?

とにかく今、注目しています。できたら映画はもういいから、舞台やってくれ~。

Tuesday, November 13, 2007

Self-Depreciation is the Most Gracious Form Humour

Dolly Parton on Whitney Houston's success with "I Will Alaways Love You", a song originally written by Parton:

"It was my song, it was her record, and it made us both rich. I will always appreciate her - I made a lot of money, and I need a lot of money, because it costs a lot of money to look this cheap."

Monday, November 12, 2007

Talladega Nights

独りモンの映画鑑賞、その4

Talladega Nights: The Ballad of Ricky Bobby」(2006年作品)
映画の公式サイト

初めから違う映画の話で恐縮だが、今年の夏、アメリカで「Hairspray」という映画が公開された。50年代のアメリカを舞台にしたミュージカルの映画化なのだが、このミュージカルのオープニング・ナンバーが「Good Morning Baltimore」(おはようボルティモア!)という曲。主人公の太目の女の子が歌うこの曲。「ボルティモアはすばらしい町、毎日チャンスがあふれているわ〜」みたいな曲なんだが、この曲を例えばニューヨークのブロードウェイの舞台で聞けば、ミュージカル作者の皮肉というかアイロニーが伝わると思う。ボルティモア...全米でデトロイトに次いで危険な町らしい。人口の22% が貧困層...。

でもこのミュージカル映画が、例えば日本や香港なんかで公開されるころには、観衆はそのアイロニーを理解しない、またできないと思うんだよね。

ミネソタあたりの中西部アメリカ人でもこうした皮肉は解せないんじゃないだろうか...。

本題に戻りますが、このTalladega Nightsも、そうした「もしかしたら観衆に理解されていない皮肉」がてんこ盛りな映画です。

最近売り出し中のコメディー俳優、Will Ferrellがカーレースのドライバーを演じる。このカーレース、NASCARというストックカー・レース。最近アメリカでアメリカン・フットボールに次ぐテレビ視聴者数を稼いでいるという。前回の大統領選挙では「サッカー・マミーにNASCARオヤジ」ということで、アメリカのハートランドの中流家庭の代名詞になったぐらい。(つまり子供たちにサッカーをやらせるお母さんと、休日は家でカーレースをテレビ観戦するオヤジということ。)

NASCAR自体、ノース・カロライナ州に端を発しており、アメリカ南部を中心に盛んです。

ようするに、まぁ早い話、誤解を恐れずに言えば、ブッシュ大統領のコアな支持者層とNASCARファンはかなり重なるわけです。

そしてこの映画。NASCARの興奮を描きながらも、その背景となるアメリカ・カルチャーを散々ばかにしまくっているのです。

主人公のリッキーはひょんなことからNASCARのドライバーになるのですが、これがマイケル・ムーアさんがいうところの「バカでまぬけな白人アメリカ人」の典型。やたらと神様とジーザスの名を連発するわりには、食前のお祈りでは宗教無知をさらけ出し、しかも食べるものはファースト・フードばっかし。なにが何でもナンバー1にこだわり、勝つことのみに価値観を見いだしている。そんな彼がゲイでフランス人のドライバー(演じるのは「Borat」のサーシャ・バロン・コーエン...爆笑!)に破れて打ちのめされ、ニューエイジ趣味なお母さんの助けで復活する...というのがあらすじ。

よくもまぁバカにしまくったりという感じです。

リッキーがフランス人ドライバーに組み伏せられるシーン。

「『オレはクレープが好きだ』と言え。じゃなきゃ腕をへし折るぞ。」
「いやだ!絶対言わないぞ。」
「そうだリッキー、いっちゃだめだ。フランス野郎の言いなりになるな。」
「おぉ!でも『クレープ』ってなんだ?」
「あのうすいパンケーキのことだろう。」
「あぁ、あれか。あれオレ大好きだ。」
「そう。アメリカ人、『クレープ・スゼット』を知っているか?」
「なんだそりゃ。」
「うすいパンケーキに砂糖とレモンをまぶしたやつだ。」
「あぁ!あれオレもう大好物!」
「ほら、だったら『オレはクレープが好きだ』といえ。」
「いやだ〜!」

フレンチ・フライをフリーダム・フライと改名したアメリカ人を彷彿とさせますな。

「アメリカ人、オレがなぜアメリカにやってきたか分かるか。」
「公立学校教育と水道水の質、そしてブッシュ大統領の叡智。ほかの移民たちと同じ理由だろう?」

この映画DVDの特典がふるっていて、キャスト・スタッフのコメンタリーが映画公開の25年後ということになっている。

「いまミズーリ州に住んでいるんだって?最近そっちはどうだい?」
「ご存知のように、地球温暖化によりミズーリ州の大半水没しています...。」

またDVDの冒頭にはこんな断り書きが...

「この映画の内容はソニー、およびソニー・ホーム・エンターテイメント社の意見を反映するものではありません...」

一見の価値はある映画です。

Sunday, November 11, 2007

Love Actually

独りモンの映画鑑賞会、その3

Love Actually」(2003年作品)

「イギリス万歳」

...ってな感じの映画です。大好きです。

監督・脚本はリチャード・カーティスさん。いうなればイギリスの三谷幸喜さんですね。

オックスフォード大学在学のころから「ミスター・ビーン」ことローワン・アトキンソンと親友で、そのころから彼と一緒にコメディー・スケッチを作成していたらしい。

その後、TV向けシチュエーション・コメディー(Sit Com - シットコム)の作成を企画し、不朽の名作「Blackadder」シリーズを世に送り出す。1980年代に一世を風靡したこのシリーズ。主役のエドマンド・ブラックアダーはシリーズを通じて旧友のミスター・ビーンがこれを勤めた。第二シリーズから脚本作りに参加したのは、これまた80・90年代イギリスを代表する「サヨク」系コメディアン、ベン・エルトン。

私がイギリスに流れ着いたのは1989年だったので、大学での同級生は皆この「ブラックアダー」シリーズとともに育ってきた世代。話を合わすためにも、テレビの再放送を見たり、シリーズ常連の俳優の名前を覚えたりしたものです。(ヒュー・ローリースティーブン・フライリク・メイヨルなどなど...)

もちろんカーティスさん、「ミスター・ビーン」シリーズにもプロデューサーとして携わってきました。

その後カーティスさんは映画「フォー・ウェディングス」(1994年作品)の大ヒットで映画界進出。次の「ノッティング・ヒル」(1999年作品)は本人も言うように「4年近くかけて脚本を書いていたのに、映画ができてみたらフォーウェディングスそっくりの作品になっていてガックリ...」。

その後、ブリジット・ジョーンズの脚本製作にも参加したりしながら、ついに自ら監督・脚本でメガホンを取った(日本映画界な表現だな)作品がこれ。

ようするに、今イギリスの第一線で働いている世代の人たちは、みんなカーティスさんのユーモアと共に育ってきたようなものなのです。

この映画に出演している俳優さんたちも、もう皆さんお馴染み。笑えるのはこの映画の出演者と、あのイギリス俳優総出演シリーズ、「ハリー・ポッター」の出演者がメチャクチャかぶっているということ。まぁさすがにヒュー・グラントやコリン・ファースはハリー・ポッターに出ないだろうけれど...この二人は「ブリジット...」つながりだし。

そう考えてみると、この映画の登場人物たちの複雑な友人・恋人関係は、実際における俳優たちの過去の出演作品を反映しているようなものですな。

個人的にはこの映画の時分、まだ自意識過剰に陥っていなかったころのキーラ・ナイトレー嬢が好きです。

おまけ。歌が上手くて可愛いオリヴィア・オルソン嬢。

Saturday, November 10, 2007

Teacher and Pupil

独りモンの読書遍歴、その2。

日本歴史を点検する」対談海音寺潮五郎/司馬遼太郎 1974年講談社

このころの司馬さんは謙虚だったんだなぁ...。

アイゼンハワーの軍産複合体に関する批判を取り上げているあたり、さすがは海音寺先生です。

Friday, November 09, 2007

Yoritomo

独りモンの読書遍歴。

永井路子著「つわものの賦」初版発行1978年 文藝春秋

ニューヨークから帰ってきて以来、どうも「身辺整理」が趣味になてしまった。どうも今現在の私の人生のテーマは「身軽」らしい。

そんなわけで、訪米中お蔵漬けになっていた本を一冊づつ持ち出してきては、手放すべきか座右におくべきかを思案しているのだが、さすがにここ五・六年の度重なる引っ越しのお供をしてきた蔵書には捨てがたいものが多い。

この本もそんな本の一つ。

永井さん、大好きです。

歴史文学における女性の視点というのは、もっと注目されていいと思う。あまりに大雑把な言い方は避けるべきだろうが、どうも男の視点から論じる歴史は戦争と権力あらそいの描写に終始してしまい、結局は登場人物の心象風景がおざなりになり、結果それらの人々の行動の動機付けが曖昧になり、歴史そのものが生きてこない。マンガ道でいうところの「キャラが立たない」わけですね。

結局、歴史文学はいうに及ばず、歴史の研究にも「人間性透察」の能力は欠かせないと思うわけです。

尊敬する海音寺先生は、もちろんこの偉大なる例外になるわけだけど、その海音寺先生も薩摩隼人の男気が先にいきすぎてしまっているような印象を受けるときがままある。これはもう個人のすき好みの領域かもしれないが、海音寺先生の「謙信びいき」はこのひとつで、たしかに「義」の為に「後に続け〜」と単騎で越後から関東に馳せかけてくる戦国武将の姿には感銘するが、私はこの手の戦争屋は好かんのだ。

そんなわけで、永井さんや、杉本さん、そして最近では塩野さんなんかの著作は貴重だなと思うわけです。

のっけから話がずれましたが、この本は永井さんが「炎環」「北条政子」で文壇デビューして以来、自家薬籠中のものとしていた「源平/鎌倉時代」に関する彼女の結論的「史伝」です。

以前は「頼朝の旗挙げ」、「源平戦争」、「鎌倉幕府の創設」という年表的かつ表層的扱いをされていたこの時代を「東国武士の勃興」、「東国、西国、奥州の多層的権力構造」というテーマで捉え、頼朝、後白河、北条義時、三浦義村らの主要登場人物の人間性に深く切り込んでいます。

誰だったか忘れましたが、「鎌倉時代以前の歴史は日本の歴史ではない」といった人がいたとか。たしかに平安王朝貴族の文化・文明はその後の日本の歴史からみれば異質なものかもしれませんが、この論調で「日本の古代」を完全に否定してしまうのもちょっと乱暴がすぎるとも思えます。

それよりも注目すべきは「鎌倉幕府」に象徴される武家政治の登場により、日本において初めて「生産者階級」による政権が登場したことでしょう。「鎌倉武士」はその後の戦争屋的性格を深めていった戦国武将や、官吏的な江戸時代の武士とも違い、その基本は「開拓者」であり「一所懸命」の地主階級。戦乱となれば「いざ鎌倉」で駆けつけますが、普段はみずから汗を流し家ノ子、郎党を指揮して農事に励む親分さんなわけです。

こうした「武士」社会の掟が、外来の建前の概念に基づいて成立され、歴史の流れの中で形骸化した律令制度にとってかわり、のちに北条泰時の手により「御成敗式目」となった次第はみなさんご存知の通り。

泰時は後に、「朝廷の方々のいわれるような難しいことは知らないが、この式目の内容は我々にとっては『道理』となっているものだ。だから自らの無知に臆することなくこれを示せ。」と言ったという。(下に参考までにこの「泰時消息文」の読みくだし文と現代語訳を載せときます。)

そしてこの「道理」を法源とする式目の効力は、明治維新により近代法治国家が生まれるまで存続したのである。

(赤穂浪士の「喧嘩両成敗は御成敗式目以来の云々」という台詞はここからきているわけですね。なお、徳川家康は「吾妻鏡」を座右の書としていたらしい。)

今の時代にも「道理」の政治を行ってくれる人が欲しいところ。

個人的に吾妻鏡の中で一番好きなシーンは、頼朝の征夷大将軍任命の勅使応対役を承った三浦義澄が勅使に名を尋ねられ、

「三浦ノ次郎」

と名乗ったという一段。本来であれば義澄には「三浦介」という官名があったのだが、あえて勅使に対し律令制度の下の官名を名乗らず、坂東風に名乗ったわけだ。これに対し、吾妻鏡は「面目絶妙」と評している。

なんかヤクザが仁義を切っているみたいなところもありますが。

思えば私の永井さんとのおつきあいは高校生の時が最初だったのかもしれない。日本史の授業で担当の柴田先生が鎌倉の八幡宮での実朝暗殺の段になって突然熱の入った謎解き(暗殺の黒幕は誰だ!)を披露してくれたのを今でも鮮明に覚えている。あれは永井さんが提唱した説だったのだなとわかったのは後のこと。

暗殺の黒幕をお知りになりたい方は、この本を手にとって読んでみてください。

この時代、個性的に過ぎてアクの強そうなキャラがたくさんいるが、やはり一番尊敬できるのは武家政治の根本を築いた北条義時と泰時の親子、そして義時の弟、時房でしょう。北条家は1333年(イチミサンザンなどと覚えたっけ)に新田義貞に率いられた軍勢に滅ぼされますが、その想像を絶する謀略と腹黒さ(?)の歴史とは裏腹に、この一族は代々清貧で過ごしたらしい。(末期の奢侈に関しては後醍醐側のプロパギャンダとの説が有力。)彼らの政権が滅んだ理由は、時代ととも発達した経済環境についていけなかったということが大きいのでしょう。最後は高時はじめ一族郎党ともども七百人余が鎌倉の谷(ヤツ)で見事自害に及んだとのこと。北条家というものが、それだけ最後まで支持されていた政権の担い手だったという証左ではないでしょうか。(鎌倉の腹切りやぐら(東勝寺の址)は必見スポット。霊感の鋭い人には怖いかもしれませんが、ちょっとゾッとします。)

私個人的には、清貧でありながら政敵にはとことんアクドイ、さりながらゴリッパな北条さんちも面白そうですが、この時代で興味のつきない人物はやはり頼朝でしょう。12・3の歳に平治の乱の敗戦により、恐怖の逃避行、親兄弟の横死、死刑を一等減じられ流刑...などなどのトラウマを経験しながら、正妻のヒステリーにもめげない立派なスケベ親父に成長し、ガラの悪いやくざの親分衆みたいな東国武士に担がれながら、煮ても焼いても食えない政治家に大成したこのおじさん。会ってみたら面白そうです。私のイメージでは大河ドラマ「草燃ゆる」で石坂浩二さんが演じていた頼朝が印象に残っているのですが、最近の「義経」では中井貴一クンが頼朝をやっていたみたいでしたね。

「みずしま...もとい、よりとも〜。一緒に日本...京に帰ろう!」

...ネタが古いか。

しかし奥さんの妊娠中の浮気はよくないね。

ちなみに上の絵は前田青邨画伯の「洞窟の頼朝」。旗挙げの後、石橋山での戦いに破れ伊豆山中を逃げ回り洞窟に隠れた頼朝主従の群像です。負け戦にグッタリという風情の中で独り眼光鋭く、うっすらと不敵な笑みさえ浮かべているような頼朝の表情。好きな絵です。

この後、主従は二手に分かれて伊豆を脱出し、海路房総半島に向かうのですが、その途上相模湾か東京湾海上で主従再会します。その様子を同じ青邨画伯が絵にしたのがこれ。


ちょっとまとまりがなくなってきたので、ここら辺でおわり。









貞永式目 唯浄裏書本{ゆいじょううらがきぼん} 

さてこの式目をつくられ候事は、なにを本説{ほんせつ}として被注載之由{ちゅうしのせらるるのよし}、人さだめて謗難{ぼうなん}を加ふる事候歟{ことにそうろうか}、ま事にさせる本文にすがりたる事候はねども、たゞどうりのおすところを被記{しるされ}候者也。かやうに兼日{けんじつ}に定め候はずして、或はことの理非をつぎにして、其人のつよきよはぎにより、或{あるいは}御裁許ふりたる事をわすらかしておこしたて候。かくのごとく候ゆへに、かねて御成敗の躰{てい}を定めて、人の高下{こうげ}を論ぜず、偏頗{へんぱ}なく裁定せられ候はんために、子細{しさい}記録しをかれ候者也。この状は法令{ほうりょう(律令)}のおしへに違するところなど少々候へども、たとへば、律令格式は、まな(真名)をしりて候物のために、やがて漢字を見候がごとし。かなばかりをしれる物のためには、まなにむかび候時は人の目をしいたるがごとくにて候へば、この式目は、只かなをしれる物の世間におぼく候ごとく、あまねく人に心えやすからせんために、武家の人への計らひのためばかりに候。これによりて京都の御沙汰、律令のおきて聊{いささか}も改まるべきにあらず候也。凡法令のおしへめでたく候なれども、武家のならひ、民間の法、それをうかゞひしりたる物は百千が中に、一両もありがたく候歟。仍諸人しらず候処に、俄に法意をもて、理非を勘{かんがえ}候時に、法令の官人心にまかせて軽重の文どもを、ひきかむがへ候なる間、其勘録一同ならず候故に、人皆迷惑と云々、これによりて文盲{もんもう}の輩{ともがら}もかねて思惟し、御成敗も変々ならず候はんために、この式目を注置{ちゅうしおかれ}れ候者也。京都人々の中に謗難を加事{くわうること}候はゞ、此趣を御心得候て御問答あるべく候。恐々謹言{きょうきょうきんげん}九月十一日
武蔵守在
駿河守殿


さてこの御成敗式目を作られたことは、何をよりどころにして書いたのかと、きっとそしり非難する人もあろうかと思う。たしかにこれというベきほどの典拠によったことはないが、ただ道理(武士社会での慣習・道徳)のさし示すことをしるしたのである。このようにあらかじめ定めておかないと、あるいはことの正しいか誤っているかを次にして、その人の強いか弱いかによって判決を下したり、あるいは前に裁決したことを忘れて改めて問題にしたりすることがおこったりしよう。こんなわけだから、あらかじめ訴訟の裁決のあり方を定めて、人の身分の高い低いを問題にすることなく、公平に裁判することのできるように、こまかいことを記録しておくのである。この式目は、律令の説くところと違っている点が少しあるが、例えば、律令格式は、漢字を知っている者のために書かれているので、ほかならぬ漢字を見ているようなものである。かなばかりを知っている者の為には、漢字に向った時は、目が見えなくなったようになるので、この式目は、ただかなを知っている者が世の中に多いこともあって、ひろく人の納得しやすいように定めたもので、武家の人々の便宜になるように定めただけのことである。これによって、朝廷の御裁断や律令の規定が少しも変更されるものではない。およそ律令の条文は立派にできているが、武家や民間でそれを知っている者は百人千人の中で一人二人もいないだろう。そこで、人々の理解していないところに、にわかに法律の立場で理非を考え、法律を司る役人が自分の判断で、律令のあれこれの法令を適用するので、その判決は同じでなく人は皆迷惑すると聞いている。これによって、文字の読めないものもあらかじめ考えることができ、裁定のあり方もいろいろ変わることのないように、この式目がつくられたのである。京都の人々の中で、非難する者があったら、この趣旨を心得て問答しなさい。貞永元(1232)年9月11日 
武蔵守在
駿河守殿

Thursday, November 08, 2007

Hubris

むかし西洋人は、

「鳥目で近眼の日本人に飛行機の操縦はできない」

といっていたらしい。

最近の日本人は、

「日本人が開発した高度な製造技術は日本の文化に根付いたもので、中国人には真似できない」

などといっているらしい。

そのむかし室町のころ、中国の官窯の陶器のコピーを必死になって作っていた歴史を忘れてしまったみたいですね。

中国の怪しげなミッキー・マウスもどき、ドラえもんもどきの遊園地を笑う日本人は、日本の天下り役人が経営する遊園地の殺人ローラーコースターのことをどう思っているのだろうか。少なくともコピー・キャラの着ぐるみのせいでお客さんが死ぬということは無いだろう。(着ぐるみの中の人の労働環境に関しては心もとないが...。)

製造業に携わっていない人に限って、

「日本はものつくりの国だから」

なんて言う。

そういえば「ものつくり大学」なんてのを作ったらあっというまに汚職の温床になってしまっていましたっけ。覚えている人いるかな...。

そんなかけ声ばかりの「ものつくり」が日本国内のメディアで幅を利かせている裏で、日本の製造業は拠点をどんどん海外に移していっている。そうした現場で活躍できる人、価値がある人とは、「ものつくり」の本来の精神を現地の従業員に伝えることができる人たちだ。

ようするにこれからの時代は「ものつくり」と同時に「ひとつくり」の才能が求められている。

この国際化社会・世界的大競争時代に場違いな、そして偏狭で不健康な国粋主義的「ものつくり」の優越性を主張している場合ではないのだよ。

Wednesday, November 07, 2007

In The Name Of God...

ゴアさん...まだ生きていたのね...。

Tuesday, November 06, 2007

Monday, November 05, 2007

Ambition's Debt

いろいろとこの人の周辺が騒がしいが、テロ特対法の期限切れの一番大事な意味合いは、日本が国連安保理事会の常任理事国入りを実質上あきらめたことを世界に向けて発信したということでしょう。

後になって「そんなつもりは無かった」「別の方法での国際支援を考えていた」なんて言ってみても、給油活動の継続を望んでいた国々が次回日本の常任理事入りを支持するとは思えないし、日本の常任理事入りに反対する国々にしてみれば絶好の反対理由を作ってしまったということだ。

「国際平和活動を国内の政局の取引に使うような国は信用ならん」

といわれたら返す言葉が無いでしょうに。

前から言っているが、凡人に「国家百年の大計」を語らせるのは到底無理だとしても、せめて10年先を見た政治をしてもらいたいものだ。

もっとも、ここ数年の内に総理にならなければ心臓がもたない可哀想な人にこんな期待は無理か。

どうせなるようにしかならねぇってことよ...。
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