早い話、「もっと改革しなきゃダメだよ」とOECDに言われちゃった。
その後ネットで日本のメディアをザッとみてみたが、このニュースを大きく取り上げているところは無かった。
まぁ、当分ダメだろうね。
なぜダメかということを考えてみたら、とあるマンガを思い出した。
弓月光サンといえば、私が第二次性徴期のホルモン分泌に悩み始めていたところを狙いすましたかのようにヤング・ジャンプでアザトく連載スタートした「みんなあげちゃう」(1982年連載開始)が記憶に鮮烈に残っているのだが(でもどういう話だったかは全然覚えていない...)、まぁそっちの話はおいといて...。
個人的にこの「エリート狂走曲」で印象に残っているのは、主人公の家庭教師となる美形大学生がアルバイトでホストクラブで働くエピソード。自分より見た目がはるかに劣るホストがただ単に国立大学生だからということでお客のオバサンたちにモテまくるのをみて逆上。主人公に「お前はゼッタイ国立大学に合格するんだぞ!」という段。
両親、祖父、そしてその他多数のご縁で、某私立大学の付属校に合格することが少年時代の至上命令だった私にはここら辺の価値観がピンとこなかった。
主人公はたしか中学→高校となる段階で、モーレツな受験勉強をするという話だった。だからこのマンガの想定読者層は当時の12歳から16・17歳だったのだろう。
ようするに今現在の時点で40代中盤から50に手が届きそうなあたりの人たちだ。
ようするに今日本をダメダメにしているエリート層というのは、「エリート狂走曲」よろしく70年代後半から80年代初めにかけて一生懸命勉強して東大に入り、国家公務員I種を通り、オイルショック後の不景気で就職難に苦しむ同世代を横目でみながら官庁入りを果たした人たち。往時の無敵「Japan Inc.」によろしく寄生することを目的にその人生とキャリアを捧げてきていた人たちなのだ。
時代は移り、寄生すべき母体「ニッポン株式会社」が変質したいまでも、この人たちは自分の人生の犠牲(と思っているのかな?)にたいして妥当な見返りを、自分たちを裏切ろうとしているかのような「システム」に対して求め、七転八倒しているのだ。まぁ先輩たちがさんざっぱらオイシイ思いをいているのをみてきたわけだから、無理もない。
以前のブログでも取り上げたが(コチラ)、ファイナンシャル・ジャパンの木村剛さんなどの「お先真っ暗派」というのは、所詮これらのエリート種の亜種で、現実を見つめない同類に対して切歯扼腕している図。まぁいくら理屈を説いて聞かせても、今までの人生の積み重ねと抜身の「欲」が相手じゃ聞く耳持ってるわきゃぁない。こんなの相手に徒手空拳で切り結ぶのも物騒な話。それこそ清川八郎、久坂玄瑞、宮部鼎蔵の空回り二の舞だ。そういう役回りは河野太郎クンの出番でしょう。
結論を言えば、日本の改革はこうした「エリート狂走曲」世代が舞台中央から退場するか、少数派になる5〜10年後にならなければ本格始動しないでしょう。
「英国病」を経なければサッチャー革命が起こらなかったようにね。
その5〜10年後の時点でどのような日本人が必要とされるかということがテーマですな。個人レベルの話ですが。
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