数ヶ月前、そうした邱さんのエントリーのひとつに脳みそを刺激された。
正確な言葉は忘れたが、邱さん曰く、
「未来予測というものは、それがあたった瞬間に値打ちがパーになる。」
そして、
「未来予測は少々悲観的な方が値打ちがある。」
という大意だった。
なるほどね〜。
たしかに未来予測はあたった瞬間に、
「あたりましたね」で、終わってしまう。
だから未来予測を生業にするものは、半永久的にあたりそうな「予言」をつぶやき続けなければならない。
同じ理由に基づく逆説的論理の帰結。
多分世界で一番有名な未来予言者は、いまだにその「世界の終わり」の予言が実現していないノストラダムスなわけだ。
そしてノストラダムスの「信奉者(?)」はいかに「世界の終わり」が実現するかという議論ではなく、いかにノストラダムスの(あやふやな)予言の数々が今まで実現しているかという後ろ向きの不毛な話をするわけだ。
そして「予言」はやや悲観的な方が都合がいい。
「いやぁ、別に心配しなくても大丈夫ですよ。」
じゃメシの種にならない。
「ちょっと心配ですね...」
なんて、いかにも...といった風にもったいつけると、
「センセ...どうしたらいいんですか?」
となるわけだ。
こうした人間心理の真理の話をもうひとつ。
これは邱さんからではなく、私が「被害者」を相手に仕事した経験から学んだことなのだが(加害者としてではありませんよ...念のため)、「もうけ話」に引っかかる人たちはただ単に「もうけたい」からサギ師の話に乗るのではないということ。
「もうけ話」にのっかる人たちは大別して2種類いる。ひとつは「他の人たちを出し抜いてもうけたい」という人たち。もうひとつは「他人様がもうけているのにとり残されたくない」という人たち。
ひっかかり安いのはもちろん前者の方。他人には何にもいわず一人で「もうけ話」に入れあげているので、だまされていることになかなか気がつかない。もっともムラ社会の日本では後者もかなり有効だ。
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